横蔵寺
横蔵寺
横蔵寺仁王門
横蔵寺紅葉
三重塔
もみじまつり
横蔵寺 医王橋
谷汲踊り
華厳寺 参道
華厳寺
華厳寺
おいずる堂
参道の紅葉
仁王門
華厳寺仁王門
本堂
修行していた山梨県の御正体山で即身成仏し、この即身仏は明治初年、山梨県庁に移されたが、明治13年に明治天皇が天覧になられた際に、故郷へ戻すようにとのお言葉があり、明治23年本人の出身地の横蔵寺に移されたという。
このミイラは拝観する事が出来るので見てみたが、人間もこんなに小さくなってしまうのだろうか?と思うほどに小さい。多分、妙心法師自身、200年経った後に、こんなに大勢の人達に見られることになろうとは思ってもみなかったろう。人里離れた山の中で修行し、死ぬほどの苦労の末、やっと即身成仏出来たのに成仏してからこんなに賑やかなところに引き出されるなんて......
参道脇の広場では「もみじまつり」のイベントが始まっていた。谷汲では「谷汲踊り」が有名らしく、前回来た時も華厳寺の方で観ていた。言い伝えによれば、壇ノ浦の戦いで勝った源氏の軍が鎌倉に凱旋する際に踊った踊りといい、かつては「鎌倉踊り」と云われていた。鳳凰の羽に見立てた「しない」という飾りを背負い、胸に太鼓を抱えて踊られ、踊りも数種類あるようだ。
参道脇には地元の産品の露店が出ていていろんな物が売られていたが、その値を見てみるとたしかに安い。皆さんいろいろと買い込んでいたようだ。
谷汲踊り
精進落としの鯉
もっとも、今の時代、西国霊場を歩いて巡礼しようとする人は殆ど居ないらしい。
華厳寺の御朱印は3つあり、本堂(観音堂)は現世を表し、満願堂は過去世、笈摺堂は未来世をそれぞれ意味していると云う。これで御朱印も最後だから、皆さん3種類貰って来たのだろうが、この3つは西国巡礼者には意味があるものになるが、そうでなければあまり意味はない。
本堂の裏手にある「おいずる堂」には巡礼中に着ていた笈摺(おいずり)や杖、傘を納めていく堂になっていて、中は笈摺で一杯。折り鶴も沢山奉納為れていたが、これは「おいずる」と「折り鶴」が似ている為に始まったものなのか?
しかし、1000キロ近くもある距離を歩いて来た時、笈摺や傘、杖は記念に持ち帰りたく成るのが人の気持ちと思うのだが.....
おいずる堂の先にある石段を登った所にあるのが満願堂。この横に石造りの「見ざる聞かざる言わざる」があった。
しかし、よく見てみるとこれは猿ではなく、タヌキだ。
見たぬき 云わたぬき 聞かたぬき
何か意味があるのだろうか?
本堂前の左右の柱には「精進落としの鯉」と呼ばれている鯉のレリーフがある。巡礼者はこの鯉を撫でることでそれまでの精進生活から解放される気持ちになれたという。
満願の湯