スタートする前に想像していた以上に楽しい21日間の旅でした。東京から京都までは車なら2泊3日もあれば十分にゴールできてしまうでしょう。高速道路なら半日もあればゴールです。それを21日も掛けてのノンビリ旅ですから随分と贅沢な旅です。歩き旅では車で通過しただけでは見えてこない事も沢山見えてきます。せっかくの旅なのですから、その機会にあっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ、また、地元の人との埒もない話、そんな小さな事の一つ一つがゴールすれば大きな思い出になりました。旅というものは通り過ぎるだけでなく、立ち止まって、その土地の歴史、文化を知ることなのだと思います。その為にはやはり歩くという事が必要な事のようです。
東海道ゴールの1月半後、今度は正月早々から姫街道をスタートしました。
友人一同での姫街道ウォークも完歩し、さて次はと考えた時に2000年頃、静岡新聞でも連載していた塩の道が頭に浮かびました。調べてみたらこれは面白そうです。それに太平洋側から日本海側へ抜けるコースですからゴールした時の達成感も大きなものになるだろうと思い、下準備を始めました。まずはコース調べですが、これは10年ほど前に静岡新聞社で出した地図がありました。しかしこれは静岡県内だけで、長野県に抜けてからのコースはありませんでした。コースが分からなければ進みようもありません。そこで井上如著「塩の道ウォーク」を読みながら国土地理院の地図に落として行き、何とか地図を確保。松本から先は千国街道のデータがネット上に溢れていますから、こちらは何とかなりました。
2010年3月28日、日本海に向けて相良を出発しました。
2回目からは友人が参加し3人での街道歩きになりました。この回、食事を摂れる所がなく、腹を空かしながらの街道歩きになってしまいました。食事にはこの先ずっと苦労させられる事になります。
森からは一泊しないと進みようも無いのでなかなか出かける事が難しくなり、結局次までは2年も待つ事になってしまいました。この回は秋葉神社の下社の門前にある宿「門前屋」さんに泊まりながらの一泊旅になりました。二日目は秋葉山を越えて水窪まで進む予定でしたが、結局西渡までしか進めませんでした。
前回からは1年半が経過し、今度は2泊3日で一気に長野に抜け上村まで進む事が出来ました。前回でゴール地点に考えていた水窪までは今回のスタート地点からでも1日掛かりでしたから、あの時に届くはずは無かったです。
いよいよ塩の道一番の難所、「小川路峠」越えです。今回ばかりは誰かのサポートが必要です。といっても頼めるのはカミさんだけなので、小川路峠の登り口から飯田側に車を回して貰いました。紅葉の小川路峠は綺麗でした。
前回、小川路峠を越えた所で今年は終わりの筈でしたが、酔った弾みで一泊二日でもう一度行く事になりました。それも冬間近の伊那路です。寒さが心配でしたが、案の定初日は寒さに震えながらの行軍になりました。
今年こそはゴールまで!と意気込んで出かけました。今回は一名増え4人になりましたが、この一人が初日で膝を壊しアウトです。泊まりは松本駅前のホテルに連泊し大糸線の穂高駅まで進みました。残念な事に、この年はこれ1回だけで終わってしまい、ゴールは翌年に持ち越しとなりました。