あんどん倶楽部
   美濃路

7月22日、あんどん倶楽部で、最近話題になっている「モネの池」卯建の上がる町「美濃市」そして多治見市にある臨済宗の古刹「永保寺」に出かけました。

モネの池 岐阜県関市の山の奥にモネの描いた「睡蓮」そっくりの池が出現。その透明度が話題になり、大勢の観光客が押し寄せているようです。

卯建の上がる町並み 岐阜県美濃市は卯建の上がる町並みと美濃和紙で知られる町です。美濃和紙の再生と卯建の町並みの活性化を目指して様々な取り組みが行われていました。

モネの池

モネの池は岐阜県関市板取の根道神社参道脇にある貯水池。2015年ごろからネット上で急激にその存在が知られるようになってきました。

円空記念館

モネの池から美濃市に行く途中、洞戸という集落に高賀神社があり、その横に円空の仏像を展示した「円空記念館」があるようなので寄ってみました。

美濃市

美濃市は、岐阜県、中濃地方の中央に位置する市。 美濃和紙の産地、また「うだつのあがる町」としてその名を知られています。

永保寺

永保寺は、岐阜県多治見市にある臨済宗南禅寺派の寺院。山号は虎渓山。 境内に建つ観音堂と開山堂は国宝の指定を受けています。

モネの池

最近急に騒がれてきた岐阜県のモネの池を一度見てみたいと思っていた所、あんどん倶楽部で出かける事になりました。この池は高賀山の伏流水を利用して1980年頃に作られた潅漑用の貯水池。という事で、そんなに昔からあった池では無かったのです。その後、近くに住む方が、草が生い茂っていたこの池の草を刈り、睡蓮などを植え、鯉は地元住民が家で飼えなくなった鯉を持ち込んだものといいます。
山里の水澄む池に睡蓮の
  咲きて何時しかモネの池 一秀

モネの池_2

前述のように、この池は観光目的といった事は全くなく、まさに偶然が積み重りその結果「クロード・モネ」の睡蓮に似た池が出現しました。何も無かった美濃の山の奥に、突然と観光名所が出現してしまったのですから地元の対応も当初は追いつけなかったようです。しかし、その後、公共トイレ、駐車場等の整備。また、地域興しにも結びつく地元産品の販売など、ただの池が今やかなりの経済効果が生まれているようです。

睡蓮

話やネット上での画像情報しか見た事はなかったので、実際のところ、あまり期待していなかったのですが、現地で見たこの池の水の透明度は確かに人を呼び込むだけの魅力あるものでした。モネの睡蓮を改めて観てみると、「睡蓮」そっくりです。偶然が重なってモネの池が出現した事も凄い事です。やりようによってはどんな所でも人を呼び込めるチャンスはあるといういい実証例とも言えます。
涼しげに ぶつかりもせず錦鯉                                     一秀

ハートの鯉

こうして生まれた観光地には派生して生まれてくるものがあるものですが、この池の場合はここに住む鯉。この池で人気者になった鯉は二匹いて、一匹は額にハート模様の鯉、そしてもう一匹はV模様の鯉。ギャラリーの皆さんは「あれじゃないか? これじゃない?」とこの二匹の鯉探しに一生懸命です。後で人に言われて気が付きましたが、横に浮かぶ睡蓮の葉もハート型なのです。

ギャラリー

あまり広くはないモネの池ですが、その回りはカメラを構えた観光客で埋まっています。ここに到着した時には僅しか残っていなかった駐車場でしたが、帰る頃には少々空きもありました。他にはあまり見る所も無いようで、滞在している時間は皆さん短いようです。最後に、気になる情報が。最近池の鯉に餌を与える観光客が出始めたとか。栄養分が無いからこそ透明度を保っている池なのに....

円空記念館

モネの池の近くにある洞戸という集落には円空仏を展示した「円空記念館」があるようなので寄ってみました。この洞戸集落に鎮座する高賀神社は高賀山信仰の要とも言える場所で、晩年円空はここで最後の仏像となる歓喜天を彫っており、これも記念館で見ることが出来ました。円空はその生涯で12万体もの仏像を彫ったと言われていますが、現存する円空仏5千体程のうち、1300体以上が岐阜県内で守り伝えられてきたものといいます。

高賀神社

円空記念館の横にある高賀神社はかつては全国から山伏や信者が参拝に訪れた神社です。円空自身も何回かここを訪れていて最期はこの地で入定の決意を固めています。関市にある弥勒寺の墓碑銘によれば、円空は64歳の時、己の死期を悟り、弟子に後事を任せ、弥勒寺の南に位置する長良川河畔に穴を掘り、多くの里人に見守られ念仏を唱えながら自ら土に埋もれ入定を果たしたと伝わります。この場所には「円空入定塚」が残され、この塚は現在岐阜県の史跡に指定されています。
蝉しぐれ 円空仏に何宿らむ 一秀

卯建の町 美濃

美濃市にやってきました。美濃市は美濃紙と卯建の上がる町並みで知られる町です。町並みは魅力あるところなのですが、何しろ暑い!。岐阜県は夏の気温が高いことでも知られていますが、今日は特に高くなっているようで、おまけに湿度もかなり高そうです。この間の甲州道中のようにならないように水分補給には要注意です。美濃市の卯建の中でもここ、泉町のうだつ連棟家屋(五軒五棟)は四間道を隔てた旧今井家とともに貴重な十八世紀の町並みとなっています。
散策の 古き町並み水打ちて 一秀

卯建_1

卯建は防火が一番の役目なのですが、本来の防火を目的とした卯建は妻を屋根より上まで立ち上げてその壁の上に瓦を乗せたもので、これが本卯建と言われるもの。しかし防火目的から離れ次第に卯建も富を表す装飾的なものになっていき、このような卯建は防火という本来の役目から外れていきます。美濃の卯建は本卯建が残っており、「卯建のあがる町」というキャッチフレーズにも納得の町並みとなっています。
豪商の卯建仰ぎて友よ皆
   梲を上げん己が心に  一秀

卯建_2

卯建の家並みも見事ですが、卯建の鬼瓦の装飾も見事です。中山道を歩いた時も各地で卯建は見ましたが、ここほど沢山の卯建が上がっている町並みは有りませんでした。ということは過去に火災で被害を被った経験がこのような卯建の上がる町並みを作り上げたという事にもなります。こうした事から火伏せの神である秋葉信仰も昔から盛んだったようです。また、秋葉信仰と共に盛んだったのが午頭天王を祀る津島信仰で、街の中には何箇所か秋葉さんと午頭天王を祀った祠があります。面白いことにこれらの祠は屋根に上げられているものが多く、これらは「屋根神様」と呼ばれているようです。

あかりのアート

美濃で卯建と共に有名なのは「美濃和紙」。美濃和紙の歴史は古く、正倉院に保管されている正倉院文書の戸籍用紙は我が国最古の和紙と言われていますが、その中でも美濃の和紙は紙質が優れており、製紙に関しては平安時代でも美濃国が他国をしのいでいた事が伺えます。紙質としては大変に優れた美濃和紙ですが、和紙の需要の激減によりその製紙に関わる人も減っています。このような中で美濃和紙の再生と卯建のあがる町並みの活性化を目指して平成6年より始められたのが「美濃和紙あかりアート展」。この企画を提案したのが静岡市に住む方だった事もチョットした驚きでした。

明かりのアート展

毎年10月に開催される明かりのアート展には毎年全国より400点程の応募があるといいます。出品された作品は卯建の上がる町並みに展示されます。実は私の友人も毎年清水から出品していますが、プロアマ問わずのオープンなのでなかなか入選は難しいです。町の中にある「美濃和紙あかりアート館」では入選作品の展示も行っていますが、その作品を見ると、気が遠くなるほど手の込んだ物。これらの作品が卯建の上がる町並みに展示された光景を見てみたい物です。今年の開催は平成29年10月13日(金)~11月30日(木) 点灯時間:午後5時~午後9時 となっています。

永保寺 本堂

美濃市から東海北陸自動車道、東海環状自動車道、中央自動車道と乗り継ぎ多治見市にやって来ました。目的は多治見市にある臨済宗の名刹「虎渓山 永保寺」。境内にある観音堂と開山堂は国宝に指定されている貴重なものです。本堂は平成15年9月に出火し、全焼しましたが、4年後の平成19年に庫裏が竣工し、23年には本堂と呼ばれる方丈華藏庵と唐破風の大方玄関が元の建物と寸分違わぬ形で竣工ししています。

観音堂(国宝)

一重裳階付き、入母屋造檜皮葺きの仏殿で南北朝時代の築。「水月場」ともいい内部には本尊の聖観世音菩薩坐像が安置されています。特徴的なのは屋根の四隅の跳ね上がりが極端な事で、この跳ね上がりが裳階と本屋根の二重になっていますから、格好良い建物になっています。池に架かる「無際橋」の真っ正面に位置しているので、絵になります。残念ながら内部の公開は特別公開の時だけのようでした。

梵音巌

永保寺の庭園は無窓疎石の作と伝わるもので、現在は史跡名勝天然記念物に指定されています。池の向こうの岩山は梵音巌と呼ばれ、その上には六角形をした六角堂(霊擁殿)が建てられています。六角堂内部には行基菩薩作と伝わる本尊が祀られ、その回りを約1000体の地蔵菩薩が取り巻いているといいます。残念な事に六角堂手前には柵があり、岩山の上に出る事は出来ませんでした。
名刹や 読経の如き蝉の声 一秀

庭園

観音堂が一般的にいう仏殿になりますから、本来はここを中心とした寺だったのでしょう。観音堂の後ろには梵音巌、そして前には無際橋の架かる臥竜池が広がり、夢窓疎石の造る庭の特徴を残す名園とされています。そして、夢窓疎石作庭の庭園において作庭当時の建造物を残す庭園は他になく、貴重な存在となっており、このような事から国宝に指定されました。

無際橋

実は事前の知識も無かったので、観音堂と並ぶもう一つの国宝建築である「開山堂」は見ずに終わってしまいました。開山堂は境内のかなり奥まった所にあったため気がつかず、結局見る事無しの開山堂になってしまいました。残念!やはり事前の予備知識無しではこんなものです。もう一度行く事も無いのでしょうから、本当に残念な事でした。

六角堂(霊擁殿)

夢窓疎石がその上で座禅して修行をしたという「坐禅石」はあれでもない、これでもないと言いながら、結局梵音巌の上が坐禅石だろうという事になったのですが大間違い。坐禅石はずっと山の上にある石でした。とても歩いて簡単に行けるような所でも無かったようです。帰り道、六角堂の横に行ってみましたが、ここからの景色もなかなかのものでした。

ようやく今日一日の予定をクリヤーしました。暑い1日で、やはり夏は何処に出かけても苦行になります。しかし、暑いながらも「モネの池」「卯建の上がる町美濃」「永保寺」とどれも想像していた以上に良い所でした。少しは暑い思いをした甲斐もあったというものです。