あんどん倶楽部
西国巡礼第2回

西国巡礼第2回目は奈良、和歌山、大阪の3府県を廻り、7寺をクリヤー。しかし、真夏の寺参りは正に「苦行」そのものになりました。

観音寺 今回、西国霊場以外では二カ所の古刹へ寄ってきました。その一つが国宝の十一面観音を所蔵する観音寺。今では大御堂しか残っていない観音寺ですが、かつては南山城の地に広大な境内を有する寺でした。

平等院 藤原氏全盛の頃、藤原道長の別荘だった場所に、子の賴道が道長の菩提を弔う為に建てた寺が平等院でした。当時の藤原氏の権勢を象徴する建物とも言えます。

5番  葛井寺

藤井寺市にある葛井寺が最初の札所でした。三十三カ所霊場の中では茨木の総持寺と並び、特徴の無い寺とも言えます。しかし、境内の雰囲気は地元にどっしりと腰を据え地元住民の信仰を集めている寺といった感がありました。

4番  施福寺

現在の西国霊場の中では一番の難所となっているのがこの施福寺です。他の霊場もかつては苦労して登るしかなかった所もありましたが今では車で上れるようになりました。しかしこの施福寺だけは未だに歩いて登るしか参詣出来ない難所の寺となっています。

3番  粉河寺

粉河寺の本尊は過去にも火災にあった教訓から、特別な容器に入れられ本堂の地下に埋められているといいます。お前立ちでさえ秘仏で、これも年一度、僧籍にある関係者が掃除のために開扉するのみで、在家の者が拝観する機会は全く無いようです。これでは一体誰の為の寺なのか?

2番  紀三井寺

一日目の最後は紀三井寺。正式な寺名は「紀三井山金剛宝寺護国院」とやたら長い名前です。三つの井戸のあるお寺で紀三井寺。千二百年来の寺名の由来ともなった三井水は、今も名草山の懐に抱かれ、滾々と絶えることなく湧き出しています。

10番  三室戸寺

三室戸寺に参詣。三室戸寺は春はツツジ、梅雨時のアジサイ、夏の蓮、秋には紅葉と一年を通じて花木を楽しめるお寺になっています。真夏のこの時期は蓮の花になりますが、少し時季は過ぎていました。

12番  岩間寺

岩間寺は芭蕉が詠んだ「古池や蛙飛び込む水の音」の池のある寺として知られています。大きな池ではありませんが、芭蕉ファンにとっては信仰は抜きでも訪れておきたい聖地なのかも知れません。

13番  石山寺

2011年、自分が西国巡礼を始めるきっかけになったのがこの石山寺でした。ここで西国巡礼用の御朱印帳と散華の台紙を買ったのが西国巡礼のスタートとなりました。その満願から5年後、再び巡礼を始める事になるとは!

観音寺

観音寺は国内に7体ある国宝十一面観音像の一体が本尊となっているお寺です。かつては広大な境内を誇った観音寺でしたが、今では十一面観音が安置される大御堂を残すのみになっています。

5番 葛井寺

住宅街に突然現れる

清水から5時間かけ、ようやく5番札所の葛井寺に到着しました。この葛井寺は狭い通りの住宅街の中に突然現れました。それだけに地元に根ざした庶民信仰に支えられている寺といった雰囲気があります。

仁王門

一番大きな門は南大門。葛井寺は7世紀に、百済から渡来した葛井氏の氏寺として建立されたと伝えられている寺。その後、神亀元年(724年)に聖武天皇が十一面千手観音の造立を命じ、翌年の神亀2年に行基が導師となって開眼法要が行われたといわれています。

仁王

南大門の左右に安置された仁王像。南大門は1796年の上棟、1800年頃に竣工した入母屋造の楼門。

境内

葛井寺では毎年8月9日に千日まいりが行われます。 正式には四万六千日まいりといい、東の浅草寺、西の葛井寺とも言われています。 約一千年前から続く特別な行事であり、本尊千手観音様の最大の功徳日であるこの日にお参りをすれば四万六千日分の勝縁が授かると云われています。

本堂

本尊である十一面観音像は秘仏となっていて、毎月18日と8月9の千日まいりの日しか御開帳されません。惜しい事に今日は21日。3日遅れで拝観出来ませんでした。18日だったのなら、近くにある道明寺の国宝・十一面観音像も御開帳されていて、普段は拝観出来ない仏像2体を見る事が出来たのに残念!

寺名の由来となった藤

葛井寺の山号「紫雲山」は境内に1000年もの昔から咲き続ける藤の花の色がその由来となっています。葛(くず)を”ふじ”と読むのも何か不自然ですが、藤井寺では「葛餅」が名物で、商品名は「葛井餅」となっているようです。

4番 施福寺

施福寺 参道口

葛井寺から南に下り、施福寺の参道口に到着しました。ここは山登りもある為に、ここへ来るまでの間にコンビニに寄り、昼食は済ませてきました。腹が減って山登りは出来ません。現在では西国霊場の中で一番の難所となっているのがこの施福寺となっています。

山門

参道を登り始めて10分ほどで仁王門に到着。もう此処までで汗まみれです。やはり寺参りは夏向きのものでは無いようです。でも、苦労があるほど巡礼の雰囲気もあるのかも?

30分かけて本堂へ

縁起には役小角、行基、空海などに関わる伝承もあります。役小角については、彼が自ら書写した法華経の巻々を葛城山の各所の秘密の場所に埋納し、最後に埋めたのがこの山であったことから巻尾山(槇尾山)の名が付いたとする伝承が残っています。

東の山塊

施福寺の境内は木々に囲まれていて視界が開けているのは東側しかありません。東方向遠くには金剛山から葛城山の稜線が続いています。参道を登ってきて汗グッシャリになりました。

三十三観音

観音堂の中には西国33カ所霊場の本尊となっている観音像が33体揃っています。一見、如意輪観音が多そうに見えますが、実際はどうなのでしょう?。数えてみたところ、トップは千手観音(15)、如意輪観音(6)、十一面観音(6)、聖観音(3)、あとは、不空羂索観音、准胝観音、馬頭観音が一カ所づつといった結果でした。

愛染堂

空海がここで出家剃髪したと伝わりますが、これは伝承の類いと思います。ただ、空海が唐からの帰国後、都に戻る直前の大同4年(809年)頃、施福寺に滞在した可能性はあるようです。この愛染堂の近くには剃髪した髪の毛を埋めたという所もありました。

3番 粉河寺

大門

中世には広大な荘園を持ち、大勢の僧兵を擁し、根来寺や金剛峯寺と肩を並べる大寺院となっていた粉河寺でしたが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐にあい、根来寺や雑賀衆とともに抵抗したものの全山焼失しました。正徳3年(1713年)にも火災があり、現在の伽藍はほとんどがそれ以降の江戸時代に再建されたものです。

中門

入母屋造、本瓦葺きの大きな楼門です。左右の間には仁王像でななく、四天王像が安置されています。棟札によれば明和年間頃から長い年月をかけて天保3年(1832年)に完成しています。「風猛山」の扁額は紀州十代藩主徳川治宝の筆によるもの。

中門内の増長天

中門の左右に安置されている四天王像。左右の表裏にそれぞれ配置され、これは持国天像。紀三井寺の納経所が閉まるまで時間が余りないので、御朱印帳を預かって二人で本堂へ急ぎます。真夏の強烈な日差しが境内のコントラストを上げて、一層暑く感じられます。

中門裏側

中門の裏側です。こちら側にも四天王像が2体安置されています。流石にこの時期に寺参りする人は多くないようです。

本堂と庭園

本堂に上がるその両側に土留め石垣を兼ねた石組の庭が作られています。粉河寺庭園と呼ばれるこの庭園は国の指定史跡に指定されている庭けで、緑泥片岩を主とし、琴浦の紫石、龍門石などの紀州の名石を含む、多数の巨大な岩石が変化に富む手法で堅固に、美しく組まれています。

本堂内

享保5年(1720)上棟された粉河寺本堂は西国三十三所の寺院の中でも最大級の堂で、中門の先、一段高くなった境内に建っています。過去に火災に遭った事から絶対秘仏の本尊は特別な容器に入れられて本堂の地下に埋められているといい、お前立ちでさえ秘仏で、見る事の出来るのは僧籍にある人達が掃除の際に開扉するのみといいます。

2番 紀三井寺

231段の石段

粉河寺から京名和自動車道、阪和自動車道と乗り継ぎ大急ぎで紀三井寺に到着。納経所が閉められるまで14分のの残り時間しかありまあせん。ここでも御朱印帳を預かって先発隊が階段を駆け上がって納経所へ急ぎました。今日最後の寺で、足も疲れてきている中での231段の石段はかなり体に堪えます。

和歌浦

和歌山市は海に面していて眼の前に和歌の浦が拡がっています。しかし、この石段はキツイ!!。この石段を速駈詣りするイベントがあるようですが、その最高タイムは地元の五輪陸上選手の記録で21.9秒。

ようやく上がりきった

ようやく石段を登りきり本堂のある境内に入ります。紀三井寺の正式名は「紀三井山金剛宝寺護国院」といいます。境内の桜は関西一の早咲き桜として知られており、観桜の名所として名高く、日本さくら名所100選にも選ばれています。

仏殿

2003年に完成した鉄筋コンクリート製の仏殿の中には高さ12mの千手観音像が安置されています。最上階のベランダからは和歌の浦の全景が目の前に拡がります。この仏殿は和歌山市内からも目立ちます。

寺名の由来となった三井水

山内に涌く三井水(さんせいすい:吉祥水・清浄水・楊柳水)は紀三井寺の名の由来とされ、いずれも水源には慶安3年(1650)の年記とそれぞれの名水の名を刻銘した砂岩製の水槽があります。これらの水槽は徳川頼宣の命により設けられたもの。

清浄水

山内で湧水は紀三井寺の三井水として1985年に名水百選に選定されています。このうちの清浄水は参道石段の途中右側にある小滝で、楊柳水はそこから小道を入った突き当たりにある井戸。吉祥水は境内からいったん楼門を出て右(北)へ数百メートル行ったところにある井戸である。楊柳水と吉祥水は荒廃していたのを20世紀末に復旧整備したもの。

和歌山市の紀三井寺から天理まではかなりの距離があります。5時20分、和歌山から天理に向けて出発しましたが天理到着は7時半になろうとしている頃でした。宿に入る前に各自夜の飲み物をコンビニで調達し、夕食後の大反省会となりました。それにしても今日一日つかれました。
5年前は一人で運転しながら車中泊で廻ったことを考えると、その当時は随分と体力もあったものだ、と、現在との体力差を思い知らされます。やはり若いと言うことは何物にも代えがたい貴重なものなのですね。

観音寺(大御堂)

観音寺全景

翌朝、宇治に向かう途中で、十一体ある国宝十一面観音像の一体を所蔵する京田辺市にある観音寺に寄っていきました。今回のメンバーの半数は昨年ここは既に訪れていました。中山道を歩いていた5人がお初になります。残す国宝十一面観音像は法華寺、六波羅蜜寺、道明寺の3体。あと3日早かったら道明寺もクリヤー出来ていました。惜しい!!

大御堂だけが残る

観音寺は天武天皇の勅願により義淵僧正が創建し、それから1世紀程のちの天平16年、東大寺の別当、良弁が中興したと伝わります。その後も度々火災に見舞われ、永享9年(1437)の火事では諸堂13、僧坊20あまりを数えた建物のほとんどが失われ、大御堂だけが再建され現在に至っています。

国宝 十一面観音像

観音寺でただ一つの建物「大御堂」に安置されている国宝の十一面観音像。聖林寺の十一面観音と雰囲気が似ていますが、これはその製作技法(乾漆造)に依るところが大きいようです。特に頭上の10面の造作が素晴らしく、その精緻な造りには驚きです。また、傷みが殆ど無いのは昭和期に行った高度な補修作業によるもの。

平等院

平等院 南門

かなり気温も上がってきました。個人的には2012年以来の平等院です。あの時は修復中だった鳳凰堂も既に工事を完了しており、創建当時の姿になっているようで、見る前から楽しみです。

夏のこの時期にお寺で見る事の出来るのは蓮の花くらいしかありません。しかし、綺麗に開いている花を見つけるのは難しいです。やはり寺参りは夏はオフシーズンなのでしょう。

鳳凰堂の鳳凰

創建当時の朱塗りになった鳳凰堂は綺麗です。屋根に乗る鳳凰はレプリカで本物は「平等院ミュージアム鳳翔館」で展示されています。本物は青銅の上に金箔を貼ってあったようです。

鳳凰堂

平等院は藤原氏の全盛時代、藤原道長が手に入れ、別荘「宇治殿」としていたものを、道長の没後、子の関白・藤原頼通が永承7年(1052年)、父道長の菩提を弔う為に、宇治殿を寺院に改め、これが平等院の始まりとなりました。

鳳凰堂

面白い事に、現在の平等院は、天台宗系の最勝院、浄土宗の浄土院という2つの寺院が共同で管理していると言う事。浄土院は明応年間、最勝院は承応3年の創始であり、平等院が浄土・天台両宗の共同管理となったのは、天和元年(1681年)、寺社奉行の裁定によるもの。

鳳凰堂

鳳凰堂は雅な姿をしていますが、道長、賴道の時代、藤原氏は国の資産を自分たちの為だけに使い、政など顧みなかった為に、京の街には死人が溢れ、鴨川は死人の捨て場となっていたと言い、ドラマ等で見る雅な平安京は虚像の世界だったようです。五木寛之著の「親鸞」でも鴨川は死体がゴロゴロ、といった描写もありました。

宇治上神社

国宝 拝殿

この神社は知らなかったのですが、宇治川を挟んで平等院の対岸あたりにある国宝の拝殿と本殿の建つ神社です。また、「古都京都の文化財」の構成遺産として世界遺産にも登録されています。

国宝 本殿

中殿には応神天皇、右殿にはその子である16代天皇の仁徳天皇。左殿に 応神天皇に寵愛され皇太子になったものの、異母兄の大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという「菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)」。何ともおかしな話だが、仁徳天皇に殺されたと考える方が自然か?

摂社

本殿の横には沢山の摂社が祀られています。また本殿は1060年頃のものとされて「現存最古の神社建築」であることが裏付けられています。この1060年という年代を考えると、1052年創建の平等院との深い関連性が考えられます。

10番 三室戸寺

三室戸寺 入り口

昼食前にすぐ近くにある西国10番札所の三室戸寺に寄る事になりました。強烈な日差しで気温もかなり上がって来ているようでやたらと暑いです。三室戸寺も一年を通して花を楽しめるお寺なのですが、夏のこの時期には蓮の花くらいしかありません。

石段を登って本堂前へ

最後の急な石段を登ればようやく本堂の建つ境内になります。本堂前には蓮の鉢植えが沢山並んでいますが、花の時期は既に過ぎてしまったようで、僅かの花が残っているだけでした。寺創建伝承については伝説的色彩が濃く、創建の正確な事情についてははっきりしていません。

蓮で埋まる本堂前

11世紀末頃に三井寺の僧、行尊が三十三所を巡礼した時は、三室戸寺は三十三番目、つまり最後の巡礼地であったといいます。こうした事から、寺は康和年間(1099 - 1103年)に三井寺の僧隆明によって中興されたというのが正史のようです。

少しは残っていました

殆ど花は残っていなかった鉢植えの蓮ですが、中には落ちるキリギリでなんとか踏みとどまっている花もありました。やはりお寺には蓮の華が似合います。

三重塔

元禄17年(1704)建立の全高16メートルの三重塔で、もとは兵庫県佐用郡三日月村(現・佐用町)の高蔵寺にあったものを、明治43年(1910)に当寺が買い取って参道西方の丘上に移設。その後境内の現所在地(鐘楼の東隣)に移されています。

本堂

本堂は文化11年(1814)に再建された重層入母屋造の重厚な建物で、秘仏の千手観音立像が安置されています。阿弥陀堂の場所には元々、親鸞の父日野有範の墓がありましたが、親鸞の娘覚信尼が祖父有範の墓を整備し、その上にお堂を建ててこれを阿弥陀堂としました。

12番 岩間寺

観音堂

岩間寺の正式な寺名は「岩間山正法寺」といい真言宗醍醐派の寺です。本尊は像高4寸8分金銅千手観音立像で当初の本尊の胎内仏だったと伝わります。毎夜日没時に厨子を抜け出て百三十六地獄を駆け巡って人々を救済し、日の出とともに岩間山へ戻る際には汗みずくとなっていると言われ、「汗かき観音」とも呼ばれています。1990年に365年ぶりに開扉されました。

芭蕉句碑

境内にある池の蛙をみて、芭蕉の有名な句「古池や蛙飛びこむ水の音」が生まれたとの説明でしたが、どうやらこれは史実では無いようです。この句が生まれた池は芭蕉の住んでいた深川の芭蕉庵の池と思われます。しかし史実であろうが無かろうが、そんな事は関係なく、今ではこの句が勝手に一人歩きしている状態です。

芭蕉の池

池をみていたら、本当にカエルが水面の葉の上に乗っていました。この句は芭蕉が蕉風俳諧を確立した句とされており、芭蕉の作品中でもっとも知られているだけでなく、すでに江戸時代から俳句の代名詞として広く知られていた名句でした。

桂の巨木

本堂前を過ぎて山の裏手に回るとそこに幹廻り11.5m、推定樹齢500年と言われる桂の巨木がありました。以前来た時には無かったこの桂の木の為の御堂なども作られていて、あまり近くへ寄っては見る事が出来なくなってしまいました。それに夏の時期という事もあり、廻りの草も大きくなってしまい、以前見た冬の桂よりも凄みが薄れてしまっていたのは残念。

子供の桂

夫婦桂と説明のあった桂の木2本です。記憶も曖昧ですが、巨木となった桂の子供だったか?岩間寺というと桂の木が注目されますが、境内にはイチョウの巨木もあり、前にある説明板では、幹周/3. 68m、樹高/26m、樹齢/450年となっていました。

本堂

岩間寺は西国霊場の寺の中でも芭蕉の話を抜けば一番特徴の無い地味な寺ともいえます。この寺は真言宗醍醐寺派の寺なのですが、前住職が亡くなってから檀家と本山である醍醐寺との諍いがおき、長い間トラブっていたようでしたが、その問題はその後どうなったのでしょうか。

13番 石山寺

仁王門

今回の西国巡礼最後の巡礼地は石山寺になりました。でも、山門を潜る前に門前の飲食店でようやくの昼食です。運転手さんには申し訳ありませんでしたが、汗を搔いた後のビールは旨かったです。腹も満たしてイザ、山門へ!

仁王(阿形像)

この石山寺は自分が西国巡礼を始めるきっかけになった寺でもあるのです。2011年の秋(12月)京都の紅葉を見に来た時、此処へ寄って西国用の御朱印帳と散華を貼る為の台紙を購入したのが始まりでした。もう7年も前の事になりますが、まさか2回目の西国巡礼になろうとは!

国宝 多宝塔

何回来ても魅力有るお寺と一度来てそれで二度と行かないお寺があります。そんな中ではこの石山寺は何回来ても新鮮味を感じる寺です。今回が4回目の石山寺になりました。でも、石山寺は珪灰石とモミジの赤とのコラボが一番でしょうね。

御影堂と毘沙門堂

前回来たのは本尊の御開帳に合わせて「あんどん俱楽部」で来た一昨年の事。あの時ほどではありませんが、この炎天下でも大勢の参詣者が見受けられました。初回に来た時よりも確実に人の数は増えているように感じます。日本人は信仰深くなって来ている?...まさか?

紫式部

石山寺は紫式部が源氏物語の話の構想を練った所と伝わります。しかし近年ではもしかしてら、紫式部はペンネームで本当は男ではなかったか?といった説も流れてきます。たしかにあの話の内容は当時の女性が書けるようなものではないのかもしれません。本堂の隅に座っているこの紫式部とも早4回目のご対面です。

多宝塔

国宝の多宝塔です。初回に来た時にはこの塔は修復中で、檜皮葺屋根の葺き替え作業を足場に登って目の前に見る事が出来ました。その竹釘を打つスピードは半端でなかったです。今回は暑さに負け、これ以上上に登るのは止めて下る事になりました。

今年2018年は、長谷寺の開祖「德道上人」が冥土で閻魔大王に33個の法印を渡されてこの世に戻り、33カ所の観音霊場を定めて観音信仰を薦めた養老2年(718)から1300年に当たる年です。これに合わせ、各寺では御朱印にも特別なバージョンの印が打たれています。

さて、西国巡礼2回目を終え、これで前回の4寺と合わせて11寺クリヤーです。しかし満願寺となる華厳寺はまだまだ遙か先になります。それにしても夏の寺参りは暑さでメゲます。やはりこうした事は春・秋の気候の良い時やるべき事なのでしょう。真夏の古寺巡礼は下手すればそれが冥土への旅に成りかねない正に苦行です。巡礼の計画ももう少し細かな計画を立てた方が良さそうです。8月と9月は西国巡礼は休みとなり、次回は10月。

さて、今度は何処へ?



御朱印 参詣順