7月4日豪雨の傷跡

7月3日〜4日にかけて降った雨は時間110mmを越える雨量があったようで、広瀬でも昭和49年の七夕豪雨以来の大きな被害が出ました。七夕豪雨の時もこの沢が荒れ、ここから流れ出た土砂で波多打川も埋まってしまい、川底まで30cm程まで河床が上がってしまいました。今回も前と同じような鉄砲水があったようです。この沢の上流部は昭和40年代に木を伐採し開墾され、ミカンが植えられました。やはり大きな造成工事はそれまでの安定した自然を変えてしまうようです。
この結果土地の保水力は落ち、降った雨はそのまま地に浸みきれずに沢に一気に流れ込み、沢の両岸を崩壊させダムを作り、最期にはこれが耐えきれなくなり決壊し土石流となって波多打川まで流れ込んだ訳です。広瀬では30年周期くらいでこのような災害が起きているようです。
自然は人間がそうそう簡単にコントロール出来るものでもないという自然界のリベンジなのかもしれません。自然には畏敬の念をはらうべきなのでしょう。


「せまいがひろせ」16号でも紹介した農業用のタンクも土石流でいとも簡単に壊れてしまいました。橋は何とか助かったようですが、波多打川の河床はだいぶ上がってしまいました。

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