我が家のお宝 その2

機織りに使っていた「舟?」と呼ばれる物。これで縦糸に横糸を通していたと思った。子供の頃、まだひいお婆さんが機織りをしていた。

明治政府が地租改正事業の一つとして土地所有者に発行した地券。現在の土地権利証。土地の評価額と税率が記載されており、地租は評価額の100分の3になっている。この税率は徳川時代の年貢よりも厳しい程の重税だったようだ。

押入の梁の上から偶然見つけた矢立。金属製で結構重たい。残念ながら筆は入っていなかった。
明治13年発行の東京の地図。この地図は見ていると面白い。新橋、横浜間に初めて鉄道が敷設されたのは明治5年だからそれから間もない頃の物になる。この当時それ以外には鉄道は走っていない。隅田川のすぐ東側はもう田んぼで、西には池袋村、目黒村、代々木村など、当時はまだまだ開けているのは皇居の周辺だけだったようだ。
石川島もまだ、隅田川の河口にある独立した島になっている。写真の中で下の方に島のような物が7つある。これが、江戸末期に国防のために設置されたお台場(陣地)。1番から7番まであり、この頃はまだまだ海の沖だった。ここに設置する大砲は静岡県の韮山の反射炉で作られた。この建築にも係わった「江川太郎左右衛門」が今のお台場を見たらさぞかしタマげる事だろう。

戻る