6月26日の午後から27日にかけ、友人6人で山梨県の塩山にある裂石温泉に出掛けました。ここも前回の穂高温泉・槍見館と同じように全国秘湯の会の会員になっている温泉です。友人との旅行は毎度の事で、土曜日の午前は仕事をして午後の出発になります。このため、出掛けられるのは車で2〜3時間の距離に限られます。
初日の写真は全て上のタイトル画像で使ってしまったので、以下は2日目の様子です。


慈雲寺
臨済宗妙心寺派
天龍山・慈雲寺
本尊は聖観世音菩薩

ここ、慈雲寺は甲斐百八霊場の第十番札所になっています。慶応年間(1338〜1342年)に京都の天龍寺を開山した夢窓疎石によって開かれたといいますから歴史は古いお寺です。ここに立ち寄ったのは今、新5千円札で話題になっている「樋口一葉」の碑があるというのが主な目的だったのですが、来てみたら見事なイトザクラがありました。この時期ですから当然の事ながら葉桜ですが、満開時の写真が寺の堂内に飾られていました。見事な桜でした。来年は満開の時見に来たいものです。
この寺は昔、寺子屋をやっていて、そこに一葉の父親が通っていたそうです。一葉の両親の出身が塩山という事で塩山市内には一葉に関する展示物はかなり多いようです。
旅館の売店では新5千円札を型どった「お札せんべい」が売られていました。

慈雲寺の「御朱印」


甘草屋敷(旧高野家住宅)
所在地 塩山市上於曽
入場料 大人300円・小人200円

塩山市内を通過中偶然見かけた古民家。甘草屋敷と書いてあったので、入ってみました。甘草はこの名のとおり漢方薬などにも使われる甘草でした。この建物の元々の持ち主である「高野家」は江戸時代に薬用植物である甘草の栽培をしていてこれを幕府に納めていた事から「甘草屋敷」と呼ばれていたそうです。現在は市が所有しており、大々的な改修工事を行い、一般に公開されています。屋敷は広大な敷地になっており、大小様々な建物が点在しています。前はJRの塩山駅ですが、この駅の敷地もこの高野家で提供して作られたとの事でした。甘草栽培の後は養蚕が行われたようで、2階ではその当時の道具などを展示しています。

柏尾山・大善寺
真言宗智山派
柏尾山・大善寺

大善寺は奈良時代(養老2年 西暦718年)に行基によって創建されたといいますから1300年ほどの歴史を持つ由緒ある寺です。創建以来3度の火災にあい、現在の建物は鎌倉時代に建てられたもの。
薬師堂(本堂)は国宝に指定されていて、最近屋根の葺き替え(檜の皮で葺いた「ひわだぶき」)を終えたばかり。本堂内の厨子の中には薬師如来座像・月光菩薩・日光菩薩の3体が安置されており、これは5年に1回の御開帳で次は平成20年になるそうです。堂内にはこの厨子の中の3体とは別に大きな日光・月光菩薩像と12神将像があり、この12神将が横一列に並ぶ姿は圧巻です。境内を散策していたら住職が本堂を開けてくれて本堂内で詳しい説明をしてくれました。
大善寺は武田勝頼が織田・徳川連合軍との戦に際し戦勝祈願をした事で記録に残る寺でもあります。また、新撰組最後の戦いとなった(正確にはこの時は新撰組とは云わなかった。)柏尾坂の戦いもこのすぐ近くであった事もあり、最近は新撰組がらみの参拝客も多いとの、住職のお話でした。

大善寺の「御朱印」


三珠町 歌舞伎公園と光勝寺
帰り道甲府を過ぎ三珠町に入ると左の山の中腹に城が見えます。以前から何かと思っていたので、今回しっかり確認してきました。行ってみるとこれは町立の歌舞伎公園。歌舞伎の公演も出来る多目的ホールを持った立派な施設でした。いつも見ていた天守閣の最上階は展望台になっているようでしたが、これは開館時間を過ぎていたので入れませんでしたが、ここの館長さん?が外で詳しい説明をしてくれました。誰も不思議に思うのは「何故、こんな所に歌舞伎?」と云う事です。説明によると初代の市川団十郎はこの地(市川)から出たそうで、この公園内に「市川団十郎発祥の地」の碑がありました。
この公園内で驚いたのは左上の写真のボタン。かなりの株数があります。このボタンにも意味があり、市川家の家紋は三升、替紋は杏葉牡丹になっていて、二代目団十郎が「助六」にこの杏葉牡丹の5つ紋を着た事からこの紋が重要な意味を持つようになったとの事です。その紋にちなんで牡丹が植えられているようです。開花は毎年連休の頃との事でした。ここも来年是非とも来てみたいものです。ここで貰った三珠町の観光マップにアジサイが咲く「光勝寺」と説明があったので、近くという事でもあり行ってみました。残念ながら見るほどのアジサイでもなく、この本堂自体もかなり痛みが酷く、このままにしていたら近々崩壊しそうでした。

さて、これで後は清水に一直線。帰ってきてからは焼き肉屋で最後の打ち上げとなりました。次は何時何処へ?



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