100寺巡礼 第5回目  近江

100寺巡礼 第5回目は滋賀県近江の木之本と彦根の5寺1城となった。8月17日の当日、滋賀県は大荒れの天気予報だったが、さほど大きな雨にも遭わずに済んだ。ただ、蒸し暑さには参った!!

今回はビデオの編集ソフトを最新の FinalCutProX 試用版を使ってやってみた。確かにスピードは速いし、今までは面倒な作業を何段階かやらなければ出来なかったようなことも簡単な手順で出来てしまう。しかし、このソフトはテレビ局でドラマも作っているほどの機能を持っている為に覚えなければならない事が多すぎる。60の手習いにしてはハードルが高すぎる。さて、試用期間は残り10日ほど。どうしたものか...?

西野薬師観音堂

奥琵琶湖東岸の長浜市高月の周辺には数多くの観音堂がある。今はのどかな田園風景が広がるこの地はその昔、信長が浅井氏を攻めた姉川の戦い、そして秀吉が柴田勝家と戦った賤ヶ岳の戦いなど、大きな戦の戦場となったまさにご当地なのだ。
村民たちが幾たびもの兵火から守り抜いた観音菩薩を観音堂の中に納め、今日に至っている。この西野薬師観音堂も泉明寺が兵火にあった時、村民が仏像だけは助け出したものという。無住の寺であるので、地元の奉賛会によって維持管理されているようだった。ここの薬師如来は薬壺を持たないのが特徴で、このためにしばしば阿弥陀如来と間違えられるという。
ここの土産は「桑樹箸」。字の通り桑の木で出来た箸。

向源寺(渡岸寺観音堂)

渡岸寺は地名で寺名は向源寺となっている。寺の寺伝によれば天平時代、都に疱瘡が流行した為、聖武天皇が泰澄に厄除けをさせたた。その時泰澄は十一面観音を彫り光眼寺を建立し祈祷したところ、その後流行病も平癒したという。この寺は浅井・織田の戦の兵火で堂宇は喪失したが、観音菩薩だけは護ろうと、住民が地中に埋めて難を逃れたという。保存状態もよく、傷みは殆ど気がつかないほど。
村人たちが命がけで守り通したその観音像が今では国宝指定を受け、国内に7体あるという国宝十一面観音像の中では一番美しいとの評価を受けているのだから、先人達もさぞかし喜んでいることだろう。
ここの十一面観音像の特徴は何といっても後ろにある大笑面。暴悪大笑面というくらいであるから、その笑い顔?には凄みがある。

石堂寺

もともとの石堂寺は現在の石堂寺より東(山の奥)に1Kmほど入ったところにあったようだ。開基は726年というからかなり古い歴史を持つ。戦国時代には兵火により全焼したが仏像は守られ、関ヶ原の合戦も終わった1605年に再興している。しかし明治に入り、仁王門の焼失、また庫裡が大水で流されるなどの災難が続きついに無住になった。
その後、大正3年に本堂を現在の地に移し、その後全ての仏像を移し盛大に遷仏式を行い、今日まで村人により守り続けられている。
この寺の本尊である十一面観音立像の特徴は唇に紅が残っている色気のある観音さんということ。彩色もかなり残っており作られた当時はさぞや色鮮やかであったろうと想像される。
ここと鶏足寺は昨年秋に紅葉を見に来たが、それは見事な紅葉だった。観光客の数もそれなりではあったが、一見の価値はある。

右最上段へ 

鶏足寺(己高閣・世代閣)

山号となっている己高山にはその昔は5寺とその別院6寺があり、鶏足寺はその代表的寺院となっていた寺。この己高山は東の比叡山ともいわれ、山岳信仰の修験道場となっていたが江戸幕府の終焉とともに衰退していった。鶏足寺跡とされる寺院跡は己高山の山頂近くにある。また、山麓の古橋地区から徒歩15分ほどの山中にも「鶏足寺(旧飯福寺)」 と称する寺跡があり、現在では秋の紅葉の名所として知られている。
山麓の古橋地区の与志漏神社(よしろじんじゃ)境内には薬師堂、大日堂のほか、己高閣(ここうかく)、世代閣(よしろかく)と称する2棟の収蔵庫が建ち、鶏足寺や関連寺院に伝わった仏像などはこれらの収蔵庫にて収蔵・公開されている。

彦根城

彦根城は将軍徳川家康公の命により佐和山城を一掃するために20年の歳月をかけて築城された。天守は大津城から、天秤櫓は長浜城から移築したものだ。完成は1622年となっているから彦根城は戦の本番経験はない。江戸時代は無事に生き延びた彦根城も明治時代には解体の危機に見舞われた。しかし、今も国宝として残っているのは明治天皇が明治11年10月、北陸巡幸を終え、彦根を通られたときに、保存するようにと大命を下されたからだという。
今回彦根を案内してくれたのは庵原さん。この庵原さんは今川義元が織田信長に敗れ、今川氏が崩壊するまで今川氏に仕えた庵原氏の子孫になる人で定年退職後は自分の先祖について調べているという。
今川氏から離れた庵原氏は彦根の井伊家の家臣になり、次席家老にまで出世したという。
そして今や彦根城にも負けない知名度を持つのがゆるキャラの元祖ともいえる「ひこにゃん」。60面下げて何かひこにゃんかと思うだろうが、これがなかなか可愛いのだ。

龍潭寺

井伊氏の始祖、共保(ともやす)以来の井伊家の菩提寺で、奈良時代行基によって遠江国(現静岡県)井伊谷に開基された、臨済宗妙心派の寺院。
井伊直政が佐和山城主になったのを機に、昊天が佐和山(232.5m)山麓に移築した。近郊に多くの末寺をかかえ、学僧が学ぶ大道場であったと伝えられている。
江戸時代初期に建立された方丈は、彦根にある数少ない方丈建築の1つであり、方丈襖絵前104面は芭蕉十哲の1人森川許六によって描かれたもので、東庭とともに市指定の文化財になっている。
学僧の教科目に造園があり、学僧が実習として造った庭園が庫裡北庭に残っている。
特に方丈南庭は白砂48の石を組んだ普陀落の庭として知られている。
寺院裏山の墓地には、彦根御前とうたわれた井伊直弼の母の墓や、直弼の側室であった里和の文塚など、多くの史跡が残っている。

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