今回はビデオの編集ソフトを最新の FinalCutProX 試用版を使ってやってみた。確かにスピードは速いし、今までは面倒な作業を何段階かやらなければ出来なかったようなことも簡単な手順で出来てしまう。しかし、このソフトはテレビ局でドラマも作っているほどの機能を持っている為に覚えなければならない事が多すぎる。60の手習いにしてはハードルが高すぎる。さて、試用期間は残り10日ほど。どうしたものか...?
西野薬師観音堂
奥琵琶湖東岸の長浜市高月の周辺には数多くの観音堂がある。今はのどかな田園風景が広がるこの地はその昔、信長が浅井氏を攻めた姉川の戦い、そして秀吉が柴田勝家と戦った賤ヶ岳の戦いなど、大きな戦の戦場となったまさにご当地なのだ。
村民たちが幾たびもの兵火から守り抜いた観音菩薩を観音堂の中に納め、今日に至っている。この西野薬師観音堂も泉明寺が兵火にあった時、村民が仏像だけは助け出したものという。無住の寺であるので、地元の奉賛会によって維持管理されているようだった。ここの薬師如来は薬壺を持たないのが特徴で、このためにしばしば阿弥陀如来と間違えられるという。
ここの土産は「桑樹箸」。字の通り桑の木で出来た箸。
向源寺(渡岸寺観音堂)
渡岸寺は地名で寺名は向源寺となっている。寺の寺伝によれば天平時代、都に疱瘡が流行した為、聖武天皇が泰澄に厄除けをさせたた。その時泰澄は十一面観音を彫り光眼寺を建立し祈祷したところ、その後流行病も平癒したという。この寺は浅井・織田の戦の兵火で堂宇は喪失したが、観音菩薩だけは護ろうと、住民が地中に埋めて難を逃れたという。保存状態もよく、傷みは殆ど気がつかないほど。
村人たちが命がけで守り通したその観音像が今では国宝指定を受け、国内に7体あるという国宝十一面観音像の中では一番美しいとの評価を受けているのだから、先人達もさぞかし喜んでいることだろう。
ここの十一面観音像の特徴は何といっても後ろにある大笑面。暴悪大笑面というくらいであるから、その笑い顔?には凄みがある。
石堂寺
もともとの石堂寺は現在の石堂寺より東(山の奥)に1Kmほど入ったところにあったようだ。開基は726年というからかなり古い歴史を持つ。戦国時代には兵火により全焼したが仏像は守られ、関ヶ原の合戦も終わった1605年に再興している。しかし明治に入り、仁王門の焼失、また庫裡が大水で流されるなどの災難が続きついに無住になった。
その後、大正3年に本堂を現在の地に移し、その後全ての仏像を移し盛大に遷仏式を行い、今日まで村人により守り続けられている。
この寺の本尊である十一面観音立像の特徴は唇に紅が残っている色気のある観音さんということ。彩色もかなり残っており作られた当時はさぞや色鮮やかであったろうと想像される。
ここと鶏足寺は昨年秋に紅葉を見に来たが、それは見事な紅葉だった。観光客の数もそれなりではあったが、一見の価値はある。
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