100寺巡礼 第8回目  奈良・京都 2日目

天理市の天理教宿舎に泊まり、2日目は早朝出発し京都の高雄に向かう。早く出発したおかげで途中のラッシュもなく、予定より早く今日の最初の目的地高山寺に到着した。

高山寺

高山寺は歌謡曲「女ひとり」の2番に出て来るお寺。"京都、栂尾高山寺”という歌詞で知られている。それ以上に「鳥獣人物戯画」の方が有名だろう。予想以上に早く到着し、観光客はまださほど多くも無い境内を奥へ奥への進み、最後の階段を上がると本尊の釈迦如来を安置する金堂に到着する。モミジの種類が違うのかここのモミジはまださほど色付いていない。境内の杉や檜の木立が見事だ。幹周りはかなり太いから何百年という樹齢なのだろう。高山寺は日本で初めて茶の栽培が行われたところと伝えられている。栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を明恵につたえ、山内で植え育てたところ、修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があるので衆僧にすすめたという。こちらでお茶など頂いている間に皆バラバラになってしまったようで、どうやら自分たちが最後のようだった。境内にあるメタセコイヤの紅葉は綺麗だった。

西明寺

実は高山寺と西明寺は始めてきた寺。神護寺は何回か来てはいるが、こちらまで足を伸ばした事が無かった。先ほどの高山寺の山号は栂尾山、西明寺は槙尾山、神護寺は高雄山となっているが以前は高尾山だったのだろう。この三山は合わせて三尾と呼ばれるようだ。紅葉の映える清滝川に沿って下り、指月橋を渡れば西明寺の入り口に到着。この辺りの紅葉は綺麗だ。 境内のモミジも綺麗に色付いているので三脚にカメラを構えたカメラマンが凄い。
西明寺の創建は空海の高弟、智泉(ちせん)が天長年間(824~834)に神護寺の別院として開創したのが西明寺の始まりで、現在の本堂は徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院の寄進により元禄13年(1700)に建てられている。

神護寺

西明寺から裏道を下り街道に出る。自分たちはかなり遅れていて最後尾のようだ。まぁ、時間は余るほどありそうなので慌てる事も無いだろう。紅葉の時期の神護寺も何回か来ている記憶はあるのだが、綺麗な紅葉に出会った記憶は無い。いつもチリチリになったモミジばかりだったような気がする。
神護寺は、いずれも和気氏の私寺であったと思われる「神願寺」と「高雄山寺」という2つの寺院が天長元年(824年)に事実上合併してできた寺だ。 和気清麻呂といえば平安遷都の推進者でもあり、また道鏡が天皇の座に着こうとした「宇佐八幡ご神託事件」でも名を知られる。今回どうせここまで来たのだから和気清麻呂の霊廟を見たいと思ったが、少しばかり離れているようで、金堂からは10分ほど坂を登らなければならないようだ。仕方なし、今回は諦めた。境内も広いだけにゆっくりと廻ってみたいと思うが、今日は時間が無さそうだ。

右最上段へ 

神護寺は歴史が古いだけに国宝クラスの寺宝も多く、中にはよく知られる「源頼朝公肖像画」などもある。しかし、神護寺と云えばそんなことよりもやはり紅葉だ。
また、境内の一番奥、地蔵院前の展望広場から錦雲峡に向かって投げる「かわらけ投げ」がある。ここが国内における「かわらけ投げ」の発祥の地だという。


        高尾ドライブウェーからの京都市内

念仏寺

嵯峨野までくると流石に観光客もかなりの数になる。バスが駐車出来なかったら今回は通過、という事で高雄を出発したが、運良く丁度空いた駐車場があり、セーフ!それも念仏寺までは歩いても5分程度の所だ。
ラッキー!
二十代には仲間と毎年のように秋の京都に来ていて、嵯峨野にもよく来たものだ。
でもその頃に較べれば人の数は少ないようにも感じる。それとも偶然人出が少ない日だったか?
嵯峨野はバスで来て1寺だけ見て終わるような所ではなく、やはり歩かなくてはだめなのだろう。
しかし今回はそんな時間も無い。
境内に入って思ったのは「こんなに狭かった?」。
これは自分ばかりではなく皆さん同じように感じたようだが、まさか境内を削って狭くする事もないだろう。
化野は東山の鳥辺野(とりべの)、洛北の蓮台野と並ぶ平安時代以来の墓地であり、風葬の地として知られる。境内に並ぶ約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、明治36年(1903年)頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたものだというからそれほど昔の話でもないようだ。

大覚寺

予定では最後は天龍寺の筈だったが、駐車場が一杯で入れないらしい。そこで今回最後の寺は急遽近くにある「大覚寺」に変更された。やはり紅葉シーズンの京都で予定通りに進むのは難しいようだ。
丁度この時期、大覚寺では「嵯峨菊展」が開催中で境内には沢山の作品が展示されていた。大覚寺の作り方は昔からの伝統を守った上から3輪、5輪、7輪の七五三の作りという。大覚寺は広い。沢山ある伽藍を渡り廊下で繋げているので、観光客は順路に沿って進まなければ迷子になって元の場所にもどってこれるかどうか難しそうだ。最初から最後までとなるとかなりの距離を歩かされる。大覚寺は映画やテレビドラマのロケにもよく使われる。


さて今回の京都は自分にとっては久々の高雄と嵯峨野。しかしどうもこの年になると賑やかな京都よりもっと古い歴史を感じる建物や仏像のある奈良の方が落ち着いて見る事が出来る。奈良でも大きなお寺に行けば観光客で賑やかではあるが、それでも落ち着ける何かがあるようだ。
なんだかんだ云ったところで、やはり年をとったと言う事なのだろう。

            戻る