高山寺
高山寺は歌謡曲「女ひとり」の2番に出て来るお寺。"京都、栂尾高山寺”という歌詞で知られている。それ以上に「鳥獣人物戯画」の方が有名だろう。予想以上に早く到着し、観光客はまださほど多くも無い境内を奥へ奥への進み、最後の階段を上がると本尊の釈迦如来を安置する金堂に到着する。モミジの種類が違うのかここのモミジはまださほど色付いていない。境内の杉や檜の木立が見事だ。幹周りはかなり太いから何百年という樹齢なのだろう。高山寺は日本で初めて茶の栽培が行われたところと伝えられている。栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実を明恵につたえ、山内で植え育てたところ、修行の妨げとなる眠りを覚ます効果があるので衆僧にすすめたという。こちらでお茶など頂いている間に皆バラバラになってしまったようで、どうやら自分たちが最後のようだった。境内にあるメタセコイヤの紅葉は綺麗だった。
西明寺
実は高山寺と西明寺は始めてきた寺。神護寺は何回か来てはいるが、こちらまで足を伸ばした事が無かった。先ほどの高山寺の山号は栂尾山、西明寺は槙尾山、神護寺は高雄山となっているが以前は高尾山だったのだろう。この三山は合わせて三尾と呼ばれるようだ。紅葉の映える清滝川に沿って下り、指月橋を渡れば西明寺の入り口に到着。この辺りの紅葉は綺麗だ。
境内のモミジも綺麗に色付いているので三脚にカメラを構えたカメラマンが凄い。
西明寺の創建は空海の高弟、智泉(ちせん)が天長年間(824~834)に神護寺の別院として開創したのが西明寺の始まりで、現在の本堂は徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院の寄進により元禄13年(1700)に建てられている。
神護寺
西明寺から裏道を下り街道に出る。自分たちはかなり遅れていて最後尾のようだ。まぁ、時間は余るほどありそうなので慌てる事も無いだろう。紅葉の時期の神護寺も何回か来ている記憶はあるのだが、綺麗な紅葉に出会った記憶は無い。いつもチリチリになったモミジばかりだったような気がする。
神護寺は、いずれも和気氏の私寺であったと思われる「神願寺」と「高雄山寺」という2つの寺院が天長元年(824年)に事実上合併してできた寺だ。 和気清麻呂といえば平安遷都の推進者でもあり、また道鏡が天皇の座に着こうとした「宇佐八幡ご神託事件」でも名を知られる。今回どうせここまで来たのだから和気清麻呂の霊廟を見たいと思ったが、少しばかり離れているようで、金堂からは10分ほど坂を登らなければならないようだ。仕方なし、今回は諦めた。境内も広いだけにゆっくりと廻ってみたいと思うが、今日は時間が無さそうだ。
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