100寺巡礼 第20回(岐阜 谷汲) 2015.11.15

昨年4月から始まった100寺巡礼も今回で100寺満願となりました。最終回となり満願と言うことで、西国33カ所観音札所の33番霊場である岐阜谷汲の華厳寺を100寺を歩こう会でも満願100寺目の寺としました。



横蔵寺


横蔵寺


横蔵寺仁王門


横蔵寺紅葉


三重塔


もみじまつり


横蔵寺 医王橋


谷汲踊り


華厳寺 参道


華厳寺


華厳寺


おいずる堂


参道の紅葉


仁王門


華厳寺仁王門


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横蔵寺



    薬師如来

    十一面観音













早いもので、昨年の4月のスタートから20ヶ月。今回で100寺巡礼を達成してしまった。
月一回だったのだから月に5寺ペースで東は東京から、西は日本海の若狭まで廻ってきたことになる。これはかなりのハイペースだろう。流石にこのペースをクリヤー出来る人は少なく、結果的には28人の中でも100寺満願達成出来たのは3人しか居なかった。そういった意味ではこの満願達成は大したものだと思う。満願達成おめでとうございます!
さて、今回出かけた岐阜の谷汲は木曽三川の一番西にある揖斐川を遡った所にある、その名も揖斐川町内の地名。
いい伝えによれば、華厳寺の創建時、裏山から油が湧き、それを灯明に使った事がその名の興りという。
この時期は紅葉のシーズンでもあり、訪れたこの日は「もみじまつり」が開催されていた。3年ほど前、華厳寺を訪れた時は春の桜の時期で、さくらまつりをやっていた事を思い出した。どうも谷汲のお祭りに縁があるようだ。
まずは「横蔵寺」から回った。
横蔵寺には仏像、絵画、書物など、多数のお宝が眠り、別名「美濃の正倉院」とも呼ばれる程に見るべきものが多い寺と云われている。
国宝クラスは無いのだが、本尊の薬師如来像を含む、仏像数体が国の重文、また、仁王門、本堂、三重塔は県指定の重文になっている。境内は飛鳥川で二分され、東側に本堂、三重塔、観音堂などが建ち、西側に宝物館である瑠璃殿、舎利堂などが建つ。赤く色付いた紅葉越しに見える仁王門はいい。建物は信長の比叡山焼き討ちの時に同じ天台宗と云うことで消失してしまい、現在の堂宇は江戸初期に建てられたもので、さほど古いものでは無い。
他の密教系の寺と同じように、この寺も本尊は秘仏となっていて、普段は見ることが出来ない。しかし、横蔵寺で一番有名なのは江戸末期に即身成仏した「妙心法師」の即身仏(ミイラ)だろう。日本には何体かの即身仏が現存しているが、この妙心法師が一番若く、入定したのは彼が42歳の時という。



             本堂

修行していた山梨県の御正体山で即身成仏し、この即身仏は明治初年、山梨県庁に移されたが、明治13年に明治天皇が天覧になられた際に、故郷へ戻すようにとのお言葉があり、明治23年本人の出身地の横蔵寺に移されたという。
このミイラは拝観する事が出来るので見てみたが、人間もこんなに小さくなってしまうのだろうか?と思うほどに小さい。多分、妙心法師自身、200年経った後に、こんなに大勢の人達に見られることになろうとは思ってもみなかったろう。人里離れた山の中で修行し、死ぬほどの苦労の末、やっと即身成仏出来たのに成仏してからこんなに賑やかなところに引き出されるなんて......
参道脇の広場では「もみじまつり」のイベントが始まっていた。谷汲では「谷汲踊り」が有名らしく、前回来た時も華厳寺の方で観ていた。言い伝えによれば、壇ノ浦の戦いで勝った源氏の軍が鎌倉に凱旋する際に踊った踊りといい、かつては「鎌倉踊り」と云われていた。鳳凰の羽に見立てた「しない」という飾りを背負い、胸に太鼓を抱えて踊られ、踊りも数種類あるようだ。
参道脇には地元の産品の露店が出ていていろんな物が売られていたが、その値を見てみるとたしかに安い。皆さんいろいろと買い込んでいたようだ。

            谷汲踊り

華厳寺



           華厳寺 本堂


     本堂

     笈摺堂

    満願堂













華厳寺は西国三十三カ所観音霊場、33番目の満願の寺と云うことでかなりの賑わいだった。また、西国札所の中では唯一近畿圏の外にある寺となっている。
以前来た時は春の桜のシーズンで仁王門までの参道、また仁王門から本堂まで続く境内の参道も桜が綺麗だった。そして今回は秋の紅葉である。西国霊場の寺はどこもそうだが、歴史の重みを感じる雰囲気の寺が揃っている。何故か、神社は新しいのがいいが、寺は古いのがいい。
横蔵寺から華厳寺までは僅かな距離なので10分程度で駐車場に到着する。1Kmほど続く仁王門までの参道には桜やモジジが植えられ、そこに、いかにも満願寺の参道に似合う土産物屋や飲食店が建ち並ぶ。
そろそろ秋も終わろうとしているこの時期には巡礼者も少ないようで、白い笈摺を着て参道を行く人は殆ど見かけなかった。参道を1Kほど歩いた先にある仁王門はかなり立派なもので流石に満願寺の風格がある。


         精進落としの鯉

もっとも、今の時代、西国霊場を歩いて巡礼しようとする人は殆ど居ないらしい。
華厳寺の御朱印は3つあり、本堂(観音堂)は現世を表し、満願堂は過去世、笈摺堂は未来世をそれぞれ意味していると云う。これで御朱印も最後だから、皆さん3種類貰って来たのだろうが、この3つは西国巡礼者には意味があるものになるが、そうでなければあまり意味はない。
本堂の裏手にある「おいずる堂」には巡礼中に着ていた笈摺(おいずり)や杖、傘を納めていく堂になっていて、中は笈摺で一杯。折り鶴も沢山奉納為れていたが、これは「おいずる」と「折り鶴」が似ている為に始まったものなのか?
しかし、1000キロ近くもある距離を歩いて来た時、笈摺や傘、杖は記念に持ち帰りたく成るのが人の気持ちと思うのだが.....
おいずる堂の先にある石段を登った所にあるのが満願堂。この横に石造りの「見ざる聞かざる言わざる」があった。 しかし、よく見てみるとこれは猿ではなく、タヌキだ。
見たぬき 云わたぬき 聞かたぬき
何か意味があるのだろうか?
本堂前の左右の柱には「精進落としの鯉」と呼ばれている鯉のレリーフがある。巡礼者はこの鯉を撫でることでそれまでの精進生活から解放される気持ちになれたという。


           満願の湯

100寺巡礼終了


これで2年にわたり行ってきた100寺巡礼も完了しました。華厳寺を出て、山門の近くにあるその名も「満願の湯」に入ってノンビリ。もともと精進生活など無しのお気軽観光巡礼でしたが、それでも精進落としだけは本当の巡礼者以上にしっかりやってきました。思えばほんとうに駆け足での100寺巡礼でした。1回で5寺平均で回るのは思っていた以上に大変で、春秋はまだしも、夏は本当の苦行になりました。
2年足らずの間でしたが、有り難うございました。


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