あんどん倶楽部
    信州

8月は夏休みとなったあんどん倶楽部でしたが9月には再開。秋の第1弾は9月16日、信州への旅となりました。当日は寒いくらいの陽気で汗を掻く事も無く快適な信州路となりました。

松原湖 途中で寄った松原湖。松原湖は888年の天狗岳爆発により、丘陵地の窪地を流れる大月川が泥流により堰き止められて氾濫してできた自然湖。

海野宿 中山道の追分宿から北陸道の髙田宿までを結ぶ北国街道の宿場町。江戸幕府にとっては佐渡で採れた金を江戸まで運ぶ為の重要な街道でした。

懐古園

明治の廃藩置県により役割を終えた小諸城は、廃城処分となり、その後城跡は荒廃していきました。これを憂いた旧小諸藩士達が資金を集めて小諸城を払い受けて本丸跡に神社を祀り、花木を植えて公園にし、これを懐古園と命名したのが懐古園の始まりといいます。

布引観音

参道を20分程登った所に建つのが行基創建という天台宗の名刹「釈尊寺」。断崖に建てられた観音堂に安置されているのは牛に化身して、強欲な婆さまを善光寺に連れていき改悛させたという布引観音。牛に引かれて善光寺参りの伝説発祥の地となっています。

海野宿

海野宿は中山道の追分宿と北陸道の髙田宿を結ぶ「北国街道」の宿場町。江戸時代の宿場町としての町並みと明治以降養蚕で栄えた時代の町並みが調和した宿場町です。昔から「売らない・貸さない・壊さない」の三か条が掟としてあったため、現在も商いをしている店が少なく静かな宿場町です。

大法寺

長野県小県郡青木村にある天台宗の寺院で山号は一乗山。開基は藤原鎌足の子・定恵と伝わりますから歴史はかなり古いです。本尊は釈迦如来。伽藍の中でも最上部にある三重塔は国宝の指定を受けています。あまりの美しさに、ついふり返り眺めてしまうことから「見返りの塔」と呼ばれます。

松原湖_1

松原湖は888年の八ヶ岳連峰・天狗岳の噴火により堰き止められ出来た自然湖です。夏は避暑で賑わう松原湖も今は湖面に浮かぶボートで釣りをしている人が居るくらいでこの時期は静かです。夏はヘラブナ、冬はワカサギの良い釣り場となるようです。

松原湖_2

何年ぶりの松原湖になるのでしょうか。以前、ここから麦草峠に登っていった事がありましたが、その途中綺麗な白樺林があったような記憶が。松原湖は猪名湖・長湖・大月湖、3湖の総称ですが一般的には一番大きな猪名湖を松原湖と呼んでいます。

松原湖_3

いつもの運転手さん(KKさん)、奥方との初デートがこの松原湖だったとか。残念ながら、今回はその奥方は仕事の都合で来れなかったようです。
橡の実の 落ちて弾けし湖畔かな 一秀

懐古園_石垣

小諸にやって来ました。真冬の新雪の中の懐古園、紅葉で真っ赤になった懐古園は以前来た事がありますが、この時期は始めて。早い話、9月は何も無い懐古園なのです。でも、観光客が少なく静かと言うのは良いものです。そう言えば、真冬の懐古園は静かどころでは無く、誰も居なくて自分たちの足跡だけが新雪の中に残っていました。

黒門橋

懐古園は小諸城のあった場所を公園にしたもの。小諸城は、武田信玄の時代、山本勘助により現在の縄張りとなり、豊臣秀吉天下統一のとき小諸城主となった仙石秀久により完成された城です。城下町より低い位置に城を築いた「穴城」は全国でも珍しい城となっています。昔そのままの姿の石垣を見上げながら進むと黒門橋があります。かつてこの場所には黒門が構えられていました。

富士見展望台

富士山を望めるという富士見展望台に行って見ましたが、この日の天気では見る事は出来ませんでした。懐古園の西側を日本一の長さを誇る千曲川(信濃川)が流れています。朝からずっと今にも雨が降ってきそうな天気ですが、何とか持ちこたえてくれています。
城址にて 望む小諸の運動会 一秀

野面積み石垣

苔むした野面積みの石垣が良い雰囲気です。懐古園は明治の文豪・島崎藤村を始め、若山牧水、高濱虚子、臼田亜浪らのゆかりの地であり、多くの歌碑を見ることができます。戦時中は小林亜星、永六輔が小諸に疎開いた事もあり、また「上を向いて歩こう」は永六輔氏が戦時中の小諸時代、この懐古園での悲しい思い出から作詞されたということです。

徳川秀忠と小諸城

関ヶ原に向かう徳川秀忠は小諸城の二の丸に逗留し、ここを真田氏との上田合戦の本陣としました。ところが、秀忠軍は上田城に籠城する真田軍わずか3,500の兵力に翻弄され決着がつかず、小諸城内にあった海応院の住職が仲立ちし真田と和睦しました。秀忠は小諸に10日間の足止めをされ、結局関ヶ原の合戦に遅れてしまいました。

三の門

小諸城の東にあるのが三の門。この建物は約250年前、明和2年(1765年)に再建されたものです。正面には、徳川宗家16代当主の徳川家達揮毫の大扁額が掲げられています。階段を下って城門に入るといった城は見た事は無いです。確かに穴の中の穴城です。

布引観音

懐古園から千曲川の西岸に渡り、少し北に進むと布引観音(釈尊寺)への登り口がありました。観音堂まではここから急な登りの谷間を20分ほど登ります。この登りはかなり苦労させられました。雨は降りそうですが、戻ってくるまでは持ちこたえそうです。この布引観音は「牛に引かれて善光寺参り」伝説の発祥となったところで、牛に姿を変えていた観音様が観音堂に安置されている布引観音という事のようです。

布引観音_2

釈尊寺境内までの山道には石仏や、木造仏がかなりの数祀られていました。参道の回りは雑木ですから秋の紅葉時にはさぞかし綺麗になる事でしょう。暑くないので汗をかかずに済むのが有り難いです。この間までの陽気だったら今頃は汗まみれになっていた事でしょう。集団も大分バラけてきました。
強欲の友 皆牛の 待ちをるぞ 一秀

布引観音_3

ここまで来ればもう少しです。急な登りですが、まわりの岩壁や苔むした岩などを見ながら登るので、少しは気も紛れます。数年前にこの山道を一度上って登っていますが、こんなに長かったか?この先でようやく観音堂の柱が見えて来ました。もう少しです。

観音堂

ようやく釈尊寺境内まで上がってきました。向こうの岩壁に観音堂が張り付いています。まるで信州の「投入堂」です。釈尊寺は行基が創建し、そこに聖徳太子が作った聖観音を祀ったと伝えられる天台宗の名刹。観音堂の中にある「宮殿」は鎌倉前期に建造されたもので国の重要文化財に指定されています。
よくもこんな所に建てたものだと驚きです。

観音堂からの本堂

観音堂からみた釈尊寺本堂。この下の谷を登ってきて、一旦釈尊寺の本堂前に出てから、横なりの道を来ると観音堂に到着しました。舞台の上に行くのは少し恐いくらいの高さです。それに柱は大丈夫?なんて考えるとスリル満点。直ぐ下に見える屋根は仁王門の屋根で、この屋根の向きからみると、本来の参道はこの観音堂の横へ登ってきていたようです。

観音堂

この観音堂は岩壁に固定してあるのでしょうか?。観音堂からは眼下に千曲川、その向こうには小諸市街が見え、かなり高いところに登ってきた事が分かります。釈尊寺の現在の伽藍は江戸時代後期に小諸藩主牧野康明により現存する堂宇の大半が整備されています。
断崖に 観音堂や 秋の蝉 一秀

海野宿

海野宿は中山道の追分宿から北陸道の髙田宿を結ぶ北国街道の宿場町です。江戸時代には佐渡で採れた金を江戸まで運ぶ重要な街道でした。しかし明治になり宿場としての役目を終え、その後は養蚕の村として移り変わって来ました。その為に宿場内には江戸時代の旅籠屋造りと明治以降の堅牢な蚕室造りの建物が混在し、これらが調和して伝統的な家並みを形成しています。

海野宿_2

海野宿には昔より「売らない・貸さない・壊さない」の三か条が掟としてあったため、現在でも商いをしている家は殆ど無く、生活感が色濃く残る静かな宿場町となっています。静かなのは結構なことなのですが、何か土産を買っていきたいと思ってもそのようなお土産屋さんが無いのです。あるのはリンゴを売っていた店が一軒だけでした。

海野宿_3

宿場内は綺麗に整備されています。これまでにも昔の面影を今に残す宿場町はかなりの数見てきましたが、これ程綺麗な宿場は初めてです。これも商業施設が無いという事によるものでしょう。郷土資料館みたいなのが有りましたが、入館は有料でした。でも、これは無料で見せて欲しかったです。

道祖神

これ、道祖神なのでしょうか?信州は道祖神が多く、それも双体のものが多いです。でも、この道祖神は風化の度合いからみてもそんなに古いものでは無さそうです。
虫籠窓 往時偲ばる初秋蚕 一秀

連子格子

連子格子の家並みが続きます。格子も千本格子、連子格子、竪繁格子などいろいろと呼び方、種類があるようです。海野宿の格子は海野格子と呼ばれる特徴有るもので、長短2種類の縦材を2本づつ交互に使ったすこし洒落た意匠の格子となっています。

街道には水路があり、この時期「萩」が綺麗でした。海野宿は防火壁の役割を果たす卯建(うだつ)が特徴的な海野宿の街並みで、江戸時代の屋根より一段高く上げた「本うだつ」や、明治時代には装飾を兼ねた「袖うだつ」が設けられるようになりました。

大法寺_五百羅漢

大法寺は長野県小県郡青木村にある天台宗の寺院で山号は一乗山、本尊は釈迦如来。国宝の三重塔があることで知られる古刹です。奈良時代の大宝年間(701年 - 704年)に藤原鎌足の子の定恵が創建。年号をとって大宝寺と号し、後に大法寺と改めたと伝えられています。しかし定恵は正史には天智天皇4年(666年)に没したとされる人物で伝承とは年代が合いません。

曼珠沙華

境内にはこの時期ヒガンバナが綺麗でした。お寺にはこのヒガンバナがよく似合います。駐車場に着いた頃から雨がぱらつき始めましたが本格的な降りにはなりそうもありません。こんな天気でよくも1日持ってくれたと感謝!
境内にはヒガンバナだけでなく、コスモスやら萩やら花一杯の大法寺です。
国宝に 花添へる如 曼珠沙華 一秀

観音堂

観音堂に安置された「木造十一面観音及」はその作風から平安時代後期・10世紀後半頃にさかのぼると見られる古像で脇侍の「普賢菩薩立像 」と共に国の重要文化財に指定されています。これは見てみたかったのですが、拝観には予約が必要との事。残念ながらこの拝観は諦めました。

三重塔

山腹に点在する伽藍の最も高い地点に位置するのが国宝の指定を受けている三重塔。鎌倉幕府崩壊の年にあたる、正慶2年(1333年)に建立された三間四方の檜皮葺和様の塔です。

三重塔(見返の塔)

塔は初重が特に大きいのが特徴で、これにより形に変化がつきおちついた姿になっています。 このような手法はこの塔のほかは奈良の興福寺三重塔があるだけで、きわめて珍しい造りとなっています。

三重塔_3

この位置から見ると確かに最下層の屋根は一回り大きくなっていて、それによりどっしりとした安定感が出ています。檜皮葺の屋根とその反り返りのバランスも良い感じです。

100寺の頃から振り返って見ても、長野県は始めて?となりました。ついこの間までの厳しい残暑は何処に行ってしまったのか、一転して涼しい(寒いとも言える)信州路でした。残念ながら最初予定には入っていた「松本城」には時間切れで寄って来れませんでしたが、海野宿は個人的には初めてのところ。いやー、良かったです。大法寺は何となく来たような記憶があったので、帰って来てから写真を探してみたらやはりありました。時期はよく分かりませんが、20年以上昔の事のようです。こちらは五分の一世紀刻が経ちすっかりじーさんになってしまいましたが、お寺にとってはは高々20年。何も変わらずですね。