2005.1.30 (Sut)

1月30日(日曜日)第14回 庵原駅伝大会が開催されました。我が広瀬チームも昨年4年ぶりに復活しカムバック後の2回目の参加になります。体協の役員さんも選手集めには毎度のように苦労したようで、今回は学生2名(レギュレーションでは学生2名までは認められる)を入れての参加でした。いつも天気の良くないこの大会ですが、今年は快晴で暖かな大会日和になりました。自分はと言えば今年も地元、庵原地区の体協の依頼で各区の集計作業のボランティアです。前日から「静岡県航空協会」の新年会で芝川町の温泉泊まり。朝特別に早く朝食を支度して貰い家に一目散。何とか間に合いました。集計作業は自分一人では出来ないので、「広瀬洒落倶楽部」のメンバー全員での参加です。もっともこのうち2名は地元広瀬の選手を追いかける写真班。スクーターに乗り選手を追いかけての撮影ですから大変です。でも、若い人たちが頑張っているのですからそれを記録してやろうと毎年かかさず写真だけは残し、参加してくれた選手に配布しています。もう少し地元チームを応援する人が増えてくれれば選手も励みになると思うのですが、なかなか応援は増えてきません。
実はこの大会への参加は自分が「出てみよう!」と周りに声を掛け参加し始めた事もあり、自分なりの思い入れはあります。人を誘う以上自分も参加でした。2回選手として走りましたが、走り終えた後の爽快感は格別。「あ〜〜、もう走らなくていい!!」という開放感がたまりませんでした。総延長16Kmほどの距離を8区間ですから平均すれば一人2Km。走ってみようと思えば誰でも走れる距離というのがこの大会のいいところです。
広瀬で初めて参加した第2回大会。この時、ある選手が走っていたら応援のおばさんが「広瀬が来たからこれでおわりじゃない?。」って声が聞こえたと後で聞きました。実際、その時の順位は10位くらい。結果的には三十数チーム中7位でした。この時の悔しさが元になり今の「洒落倶楽部」が生まれたようなものです。何とか自分の住んでいる地域のイメージを上げようとしているのですが、そんな悔しさを感じてくれる人も少ないようです。



結果は出場37チーム中23位。イマイチ消化不良気味の成績ではありますが、それでも選手が集まり参加したという事だけで意味はあると思います。こういった事って選手も大事だけど、その時の体協役員のやる気次第なんですね。何とか参加しようという気持ちが引っ張っていく側にあれば選手も集まり、何とかなるものだと思います。逆だったら出ようとする選手なんているわけありません。来年も選手が集まり参加できる事を祈っています。

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