ガラクタの中のお宝

 家の片づけをしている中で見つけた我が家のお宝です。

とりあえず初回は「書」の分野を紹介します。

 私のひいお爺さんはお寺(清見寺)の事は熱心だった人で、当時は清見寺の檀家総代もやっていた関係で清見寺住職の古川大航翁とはかなりの付き合いがあったようです。古川大航翁は清見寺の住職を務められたあと、臨済宗妙心寺派の総本山、妙心寺の管長をやられた方で、名僧と称えられた方です。そんな関係で古川大航の書は表装したものから、まだ紙に書いただけの物までかなりの数がありました。

 鎌倉円覚寺の管長をやられた朝比奈宋源翁の書は出身が清水市横砂だった事もあり、また、広瀬内にその身内の方もいたため、広瀬の中にはかなりの数が存在しているようです。TVドラマの「水戸黄門」の題字を書いた事でも有名な方です。

 山岡鉄舟は幕末期から明治にかけて活躍した説明は不用な人物。江戸城の無血開城を勝海舟の命をうけ、西郷隆盛と談判した話はあまりにも有名。書も達者だったようで、かなりの枚数を残しているようです。

古川大航 書

 大航老師のものは書から手紙までかなりの数のものが残っています。禅宗と言う事もあり、達磨を書いた物が多いようです。98歳で亡くなられるまで現役で臨済宗、妙心寺派の管長を務められました。自分はまだほんとの子供の時でしたが、老師の記憶は何となく記憶の片隅に残っています。

山岡鉄舟 書

 何て書いてあるのか分かりません。山岡鉄舟は書は得意だったようで、かなりの枚数を書いているようです。また、為書きが多かったようで、我が家に残っているものも為書きのようですが、もともとは誰か他の人の為に書いたものを譲り受けたみたいです。それをそのままにしておけばいいものを人の名前の入った為書きの部分を消してしまい、その部分がシミになってしまっています。再度表装し直してこのシミを消そうかと思います。

朝比奈宋源 書

こちらは臨済宗、円覚寺派の管長をやられた朝比奈宋源老師の書。これはまだ表装してない紙に書いただけの物です。表装したものも何点か見つかりました。我が家に大航翁の書が有ることは随分若い頃から知っていましたが、朝比奈宋源老師の書があるのは知りませんでした。
 もっとも広瀬の中には朝比奈宋源翁の書はかなりの数存在しているようで、各戸が探す気になれば数十の数が見つかるのではないかと思います。

 自分は字は全くもって下手なのですが、その反動なのかこういった「書」は好きです。別に読めるわけでは無いのですが、目の前に拡げて見ているだけで気持ちが落ち着くような気がします。今迄にも表装されていなかった紙に書かれただけの大航老師の書を掛け軸に表装して周りにくれてやったりしましたが、考えてみれば何の興味もない人にただ呉れてやっても意味はなかったようです。今では亡くなられている人の書いたものは文化遺産なのだと思うようになりました。我が家もリフォームを計画していますが、出来上がった時には今回出てきた、まだ表装されていないものを、それなりのものにして、家の何処かに見れる形で掛けておこうと思います。

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