100寺巡礼 第4回目  奈良 1日目

取りあえずは1日目だけ完成。 7月19日 >> 清水IC 〜 東名高速 〜 豊田JCT 〜 伊勢湾岸道路 〜 東名阪 〜 名阪国道 〜 針 IC 〜 室生寺 〜 長谷寺 〜 聖林寺 〜 阿倍文殊院 〜 今井町 〜 天理(泊)

100寺巡礼もはや第4回目となる今回は奈良に出掛けた。それに今回は初めての泊まりとなった。
この2,3年の間に奈良には何回出掛けたことだろう。今年も5月に山辺の道ウォークで来たばかりだった。その時に寄った喫茶店のおかぁさんが夏になれば猫一匹通らない、なんて言っていた。大和盆地の夏の暑さはかなり凄そうだった。
いつものように朝6時、清水を出発。まず最初の目的地である室生寺に向かう。

室生寺

土門拳は雪の室生寺を撮るために随分と苦労したようだったが、自分の初めての室生寺は真っ白な雪の中の室生寺だった。もう40年以上も前の事だが、雪で滑る奥の院までの階段を登った記憶は最近の事のようにはっきりしている。
それから数回目となる今回の7月の室生寺参拝。この時期の室生寺は何も無い。5月にはまだ石楠花も残っていたが7月では残っているはずもなく、おまけに金堂に安置されている国宝クラスの仏像も遊行仏としてどこかの展示会に出張中で留守だった。5月にはまだ金堂に鎮座していたから最近の事なのだろう。その為と思うが、拝観料も少し安くなっていたようだった。
まぁ、無いものは仕方ない。あの日本で一番低いという五重塔は何処に行くこともなくいつもの所に立っていた。
この写真はいつも明るく気持ちの良い雰囲気で撮れてしまうが、それが何故なのか今回分かった。檜皮葺の端が白っぽくなっている為にそれを下から移すと全体が明るく浮き上がって写るという事のようだ。階段の下からの写真は誰がどう撮ってもそれなりの写真になる。

長谷寺

ある酒屋に「こもりく」という銘柄の焼酎があるのを見つけた。第1回目で行った古川の作り酒屋にあった「白真弓」は飛騨にかかる枕詞だった。この「こもりく」も初瀬に掛かる枕詞。どちらも万葉集に出てくる古い言葉だが、いつまでも残しておきたい「美しい日本語」といえる。
この長谷寺を開いた徳道上人が西国巡礼を始めた張本人で言い伝えによれば亡くなった徳道上人が閻魔大王の所に行くと、お前はまだ死んではダメだ、生き返って観音信仰を広めよ、と役目を負わされ33個の法印(御朱印の真ん中に打ってある印)を与えられて生き返ったという。しかし、この時代はまだ時期が早すぎたようで庶民の間に観音信仰はなかなか広まっていかなかった。先の時代に任そうと宝塚の中山寺に埋めたという。これを掘り返したのが西国33カ所霊場の復興の祖となる花山法皇で、花山法皇は33カ所の霊場を廻り,各霊場で和歌を残している。これが現在のご詠歌となった。改めてご詠歌を聞いてみると確かに和歌だ。
徳道上人の菩提寺は長谷寺の参道にある法起院。この寺には葉書の語源となった、葉に細い木枝で文字を書くと黒く浮かび上がる葉書の木がある。昔はこの葉に文字を書いて送ったのだという。
法起院は33霊場には入っていないが、番外の3寺の一つとなっていて、西国巡礼用の御朱印帳にはそのスペースが確保されている。
暑いーーー!!

聖林寺

右最上段へ

 

聖林寺の十一面観音を初めて見たのは昨年の6月だった。それまでにも前の道は何回か通っていたのに、何時も通り過ぎてしまっていた。
昨年からはや3回目の聖林寺になる。
白州正子の「十一面観音巡礼」では冒頭で訪れているのがこの聖林寺の十一面観音だった。そして最後にもう一度訪れている。
よく近江長浜の渡岸寺の国宝十一面観音と較べられるが、渡岸寺は女性的で庶民的な観音さんに感じられるのに対し聖林寺の十一面観音は男に見え、それに近寄り難い高貴な観音さんに見える。
元々は大神神社の神宮寺である大御輪寺の本尊であったが、明治の神仏分離・廃仏毀釈の流れの中でこちらの聖林寺に移された。明治時代に来日した哲学者、美術研究家のアーネスト・フェノロサが絶賛したことで知られるようになった。
このフェノロサはロンドンで亡くなっている。彼の遺言により墓は三井寺の塔頭である「法明院」に葬られている。
フェノロサの墓を一度お参りしてみたい。

安倍文殊院

安倍文殊院というこの寺は今回が初めての寺だ。安倍晴明や安倍仲麻呂の安倍氏に関連のある寺のようだ。安倍晴明は映画にもなった陰陽師で知られる。彼はこの寺で修行をしたと伝えられている。
安倍仲麻呂は百人一首の「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」の歌で知られるが、遣唐使として唐に渡りその後帰ることなく、唐で亡くなったことでも広く名を知られている。
この本堂内の本尊、木造騎獅文殊菩薩、および脇侍像快慶作 4体が2013年に国宝指定されている。この寺は檀家を持たないという。檀家なしで広大なこの境内の維持管理はどうしているのだろうか?と思うが、そんな心配もないようだ。
変わったところでは今はやりの各種電子マネーでの決済に対応しており拝観料、絵馬奉納、お守り、祈祷料などの支払いが可能。
安倍首相も何かの縁があるらしく、石灯籠を寄進しているようだ。

今井町

かつて「大和の金は今井に七分」といわれるほど繁栄した今井町。
現在も町の大半の町家が大切に保存され、江戸時代の姿を残している。江戸時代のままで残され、時代劇の撮影などにも使われる町並みは、世界的に貴重な財産であり、平成5年には「重要伝統的建造物群保存地区」の選定を受けている。東西約600m、南北約310m、面積にして17.4haの地区内には、全建物数約1500棟弱のうち、約500棟の伝統的建造物があり、全国で最も多い地区となっています。
と、こんな町並みだが、中には維持管理できなくなって放棄された家もある。これだけの家並みを纏まって維持管理するのは容易なことではないだろう。金銭的な事もかなりの負担になってくるのだろうと思う。
大変だろうとは思うが、いつまでも残しておきたい日本の風景だ。

さて、宿へ

宿といっても今回泊まるのは天理教の宿泊施設。場所は石上神宮から出てきた辺りだった。2ヶ月前、痛い足を引きずりながらこの前を歩いて通っている。旅館ではないから夕飯も簡単なものだったが、食べることにはあまり欲がない自分としてはこんなもので十分。美味いものを食べる目的ではなく巡礼なのだ。
それでも夜は遅くまで盛り上がった。あれだけの酒とつまみであれだけ盛り上がる事が出来れば随分と安上がりな宴会で済んだ。
それにしても暑い一日だった。清水は大荒れの天気で気温の法はさほど上がらなかったようだが、奈良はピーカンの灼熱地獄。本当の意味での苦行の巡礼になった。
明日の朝は早起きして天理教のあの2000畳敷きの建物で朝のお勤めとか。起きられるのか?
宿舎では盗難の心配などないので金庫もないし、浴衣もないからパジャマ代わりを持参。

2日目へ  目次へ  トップへ