雲峰寺
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六月に裂石温泉(雲峰荘)に行った時には寄らずに来てしまった雲峰寺と景徳院にお盆休みの16日〜17日に行ってみました。16日ならもう道路も空いていると思ったのが大間違い。富士宮の市街から朝霧高原に掛けて渋滞にしっかりはまりました。精進湖から甲府盆地に降り、塩山へ。この間来たばかりですから道は間違えようもありません。雲峰寺の駐車場に車を留め、境内に入ると宝物館があります。多分目当ての「風林火山」の旗はこの中だろうと入り口に行ってみるとナント「火曜日は休館」!!。ウソだろオイ!。この旗を見るためにここまで来たのですから。寺の庫裏に行って声を掛けても誰もいる気配はありません。仕方なしに駐車場に戻り、土産物屋のおばさんに話したら「開けてやるよ。せっかく来たんだからね。」,再び寺の境内へ。このおばさんに鍵を開けて貰いようやく念願の「風林火山の旗(正式には孫子の旗)」と対面できました。この旗は6枚あり、うち1枚は信玄の菩提寺である恵林寺にあるそうです。旗は紺地に金文字で書かれた立派なもの。大きさも思っていたより大きく上下4mほどあります。念願の旗をみれて大満足でした!。宝物館にはこの他にも日本最古と云われる「日の丸の旗」、「諏訪神号旗」、信玄公の馬の前に標識として立てた「馬標旗」などもありました。 | ||||
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景徳院
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所在地 山梨県東山梨郡大和村日野 天童山 景徳院 「景徳院」の御朱印 天正10年(1582)3月11日、織田・徳川連合軍に敗れ自害した地に、この年の7月に家康が勝頼の霊を弔う為に建立した寺。本堂等は火災にあい焼け落ちてしまっているが、山門は建立当時のものです。 写真左上)建立当時のそのままのもの。山門の前には大きな桜の木があり、なかなか絵になります。 写真左下左)勝頼が首を落としたと云われる「生害石」。 境内に辞世の句が書かれていました。 この時、勝頼37歳、北条夫人19歳、信勝16歳といいますから何とも悲しい話です。信玄が没してから僅か9年後の武田氏終焉でした。 |
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景徳院から少し大菩薩嶺の方に上がったところに今日の宿「嵯峨塩温泉」はあります。あとは宿に入りビールを飲むだけです。 |