西国巡礼 ひとり旅   8日目(2013年4月14日)
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     伊吹山PA➡華厳寺(満願!)➡満願の湯➡養老の滝➡清水



華厳寺  (33番札所)

4月14日、8日目にしてようやく西国三十三カ所観音巡礼の満願寺、33番札所である谷汲山華厳寺に辿り着きました。この日は日曜と言うことで「さくら祭り」のようです。華厳寺の桜並木の参道はさくらの名所としても知られていますが、この年はさくらも早かったらしく既に葉桜になりかけていました。約1Kmで華厳寺に到着。華厳寺のご朱印は3つあり、本堂(観音堂)は現世を表し、満願道は過去世、笈摺堂が未来世を意味するとされています。ご朱印を頂いたら本堂入り口の左右の柱に付けられている「精進落としの鯉」を撫でればはれて満願。この鯉のレリーフに触れることにより、巡礼中の精進生活から解放されるのだといいます。この鯉は大勢の人に撫でられピカピカに光っていました。

これで西国巡礼三十三カ所霊場全てまわり満願となりました。華厳寺を出た所にあった「満願の湯」に入り、その後は養老渓谷に回り、養老の滝を見学して8日ぶりの我が家に帰ってきました。
ところが途中で気がついた事があり、なんと御朱印帳の最期には番外となっている3つのお寺がありました。このうちの一つ、元慶寺は気がついてから廻れたので、ご朱印は頂いてあります。しかし、西国巡礼を始めた徳道上人の菩提寺である奈良、長谷にある法起院、そして西国巡礼復興の祖となった花山法皇の菩提寺である兵庫県三田市の花山院菩提寺は時すでに遅し、今から廻ってくるわけにもいかず、 仕方ないので、これは改めて貰いに行くことにしました。
ところが、まだ忘れ物があったのです。肝心の散華を貰い忘れた寺が2カ所。それも一番遠くて行くのが厄介な1番札所の青岸渡寺と大阪府茨木にある總持寺。これは期間限定というので、キャンペーンが終わらないうちに改めて貰いに行くしかありません。
結局、青岸渡寺にはこの2ヶ月後の6月にまたまた出かけて何とかクリヤーです。この6日後、今度はカミさんと車中泊で奈良に出かけ、法起院のご朱印をクリヤー。そして、總持寺の散華と花山院菩提寺のご朱印はこの年の秋、再び出かけ、これでようやく西国巡礼が完結しました。

法起院  (番外)

西国巡礼も何とか早く片を付けて本当の満願にしようと6月にカミさんの兄弟との旅行を南紀にして、2ヶ月ぶりの青岸渡寺へ。これで一番厄介な所にある一番札所の散華は完了です。
この1週間後、今度はカミさんをつれて再び車中泊の旅に出ました。この時、一番に寄ったのがこの法起院でした。法起院は西国巡礼を始めた奈良、長谷寺の開祖である徳道上人が晩年隠棲したお寺で、当然長谷寺とは密接な関係に有り、法起院は長谷寺の塔頭となっています。長谷寺への参道脇にありますが、小じんまりとして、気がつかないうちに通り過ぎてしまいそうです。
堂に下げられている灯籠も長谷寺の回廊にあるものと同型となっているとの事でした。
この境内の隅に多羅葉樹が植えられており、これは「葉書」の由来となったと言われる木で、葉の裏に尖ったもので書くと文字が浮かび上がってきます。法起院のハガキの木の葉に願い事を書けばその願いが叶うと言われています。

花山院菩提寺 (番外)

この年の秋、紅葉を見ながら再び箕面の勝尾寺から姫路の圓教寺まで廻ってみました。勿論その途中で總持寺のご朱印もしっかり頂きました。この時に最期まで残った花山院菩提寺に廻りようやくご朱印も全てが揃い、西国巡礼の御朱印帳が全て埋まりました。花山院を訪れた時はまさに紅葉のピークで見事な紅葉を見ることが出来ました。
花山法皇は女性にももてたらしく、花山法皇がこの地に隠居すると 法皇を慕って弘徽殿女御(こきでんのにょご)と11人の女官たちが花山院を訪れましたが、女人禁制のため参道を登ることが出来ず、尼となって山麓に住み琴を弾いてその思いを伝えたといいます。琴弾坂と呼ばれる参道の名称はこれに由来していると伝えられています。麓には弘徽殿女御と11人の女官たちの墓が「十二妃の墓」として今でも残っています。
このような事から花山院菩提寺は女性に人気のある寺となっているようです。


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