西国巡礼 ひとり旅   7日目(2013年4月13日)
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    草津PA➡長命寺➡近江八幡➡観音正寺➡石馬寺➡木之本地蔵院➡名神高速伊吹PA


長命寺  (31番札所)

まずは31番札所の長命寺です。早く着きすぎてまだ山門が開いていなかったので、待っている人達と話をしているうちに8時になり、ようやく境内に入ることが出来ました。
長命寺は琵琶湖の淵にある長命寺山に建つ寺ですから目の前には琵琶湖が見えるはずなのですが、周りを林に囲まれているので残念ながら琵琶湖は木立の間にしか覗けません。
この地は、かつては琵琶湖の中の島でしたが、20世紀になって行われた干拓事業により陸地と繋がったといいますから、まだそんなに昔の話でもないようです。
寺の伝承によれば、第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願し、このため宿禰は300歳の長命を保ったといわれ、この武内宿禰の長寿にあやかり、柳の木の文字を見つけた聖徳太子により長命寺と名付けられたと伝えられています。

近江八幡  

次の観音正寺に行く前に時間があったので近江八幡の町並みを歩いてみました。ドラマのロケでもよく使われる市内を流れる八幡堀と呼ばれる水路は、この時期、桜も咲いて綺麗です。
八幡堀は安土桃山時代に豊臣秀次が八幡山城を築城した際、市街地と琵琶湖を連結するために造られた運河で、琵琶湖と繋げられたことにより当時は主流であった琵琶湖海運を使えることになりました。この堀の経済的効果は、全国に広がり活躍した近江商人にとってはさぞかし大きなものだったでしょう。このように経済貢献してきた八幡堀も20世紀、戦後の時代になると生活汚水も流れ込むようになり、また浚渫もままならなくなった為に、行政では埋め立ての計画が進んだようです。しかし近江八幡青年会議所が、堀を近江八幡の誇りとして蘇らせようと計画の変更を市に陳情し、その結果、今の魅力ある近江八幡が残せたといいます。もしも、この堀がなかったのなら何も魅力も無い田舎の町で終わってしまっていたことでしょう。


観音正寺  (32番札所)

ノンビリと近江八幡の町を散策して、さて、ラス前となる観音正寺へ。
観音正寺は聖徳太子がこの地を訪れた際に出会った「人魚」の願いにより建立したと寺といわれています。その人魚は、前世が漁師であり、殺生を業としていたために人魚に生まれ変わり苦しんでいたといわれ、寺にはその人魚のミイラと称するものが伝えられていましたが、平成5年(1993年)彦根城欅御殿を移したという本堂とともに火災で焼失してしまいました。交通の不便な山中にある寺院のため、消火活動もままならず、重要文化財に指定されていた本尊千手観音立像も焼失しました。現在ある木造入母屋造の本堂は平成16年(2004年)に再建されたもので、新たに造立された本尊千手観音坐像は、旧本尊が1メートル足らずの立像であったのに対し、像高3.56メートル、光背を含めた総高6.3メートルの巨大な坐像である。像はインドから輸入した23トンもの白檀を素材に作られている立派なものです。
駐車場から寺に続く参道の脇には住職が書いたもので有ろうか、日常生活の中の教訓を書いた札が並んでいて、これが結構臣白いのです。中でも傑作は
「子供は両親の言う通り行動しないで、する通り行動する」
「その人を知らんとすれば、その友をみよ」

一つ一つ読みながら「あーー、あるある!」。駐車場までの戻り道、この山の上にあったという「佐々木城址」まで120mの案内があったので登ってみました。しかし、登っても登ってもなかなか辿り着けません。どこが120mじゃい。やっとこさ辿り着いて時にはもうヘトヘト。


石馬寺

観音正寺の駐車場にあった看板にこの石馬寺の案内がありました。地図をみてみるとどうやら下に降りればすぐの所のようです。今日はこれ以降の予定は別に立ててもないので、行ってみることにしました。
今から1300年もの昔、聖徳太子がこの地を馬で訪れると馬が動かなくなり、馬を松の木に繫いで山に入り、戻ってみると馬は石になって池に沈んでいたという言い伝えにより、石馬寺と名付けられました。駐車場に車を止め、いかにも歴史を感じさせる乱れ積みの石段を登り詰めると石馬寺の境内に入ります。宝物館に入ってビックリ。館内には国の重文指定を受けている貴重な仏像がごろごろしていて見応えたっぷり。予定には入っていなかったお寺でしたから、何か得した思いになります。誰も居ない庫裡で庭を眺めながらお茶とお菓子を頂き、しばしの癒やしの時間でした。

木之本地蔵院  (長浜市)

今日のうちに満願寺である「華厳寺」に行き、家に帰る事も出来ますが、どうせここまでゆっくり廻ったのだからと、明日帰る事にして、近江長浜の木之本に行ってみました。
目的は北国街道の面影の残る木之本を見てみたかったと言うことなのです。米原JCTで名神高速から北陸自動車道に入り、木之本のICを降りれば、もうそこが木之本の駅。駅の観光案内所でお勧め所を聞き、マップを貰い、ついでにとなりの駐車場に車を駐めさせてもらうことにしました。北国街道は琵琶湖の北東岸を北上し、余呉湖の北の柳ヶ瀬、県境の栃ノ木峠をへて北ノ圧に通じる重要な街道でした。木之本にはこの北国街道の面影がまだまだ残っています。木之本は「やなぎもと」と呼ばれた昔からお地蔵さまの門前町として栄えてきた町で、この地蔵さまは、むかし大阪湾に流れ着いた本尊を祚連上人がこの地に祀ったと伝えられています。また、地蔵院には「身代わりカエル」の伝説があり、寺の池に棲むカエルが地蔵尊の願いにより、目を患った旅人に片目を与え、旅人は旅を続けることが出来たとの昔話で、いまでもお寺に棲むカエルは片目をつむっているといわれています。


32寺をクリヤーし、後は岐阜県の華厳寺だけになりました。今日はまだ時間も早いので余裕です。風呂は「あねがわ温泉」というのがあるようで、そこに行くことにしました。あの浅井と織田の戦った姉川の合戦の戦場近くの日帰り湯です。ここは値段の割に設備が凄かったです。どうも靜岡に較べるとこうしたスーパー銭湯の料金は関西はかなり安く感じます。 風呂に入り、腹も満たして、さて、今日はどこに泊まろうか?一番近いのは名神高速の伊吹山PAのようです。
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