2005年3月10日

□ 昭和新山・有珠山
写真左上)下から見た昭和新山
写真右上)有珠山からの昭和新山
写真左) 有珠山火口原

有珠山ロープウェー

天気はあまり良くはないけど、雪は降っていません。午前中は洞爺湖周辺の昭和新山・有珠山を見てから駅に向かう事にしました。観光マップでは近くに見える昭和新山も実際には歩いて行ける距離ではないらしく、ホテルでタクシーを呼んでもらいました。車では10分ほどの距離ですが、なるほどとても歩けたものではありません。道路はガチガチに凍っています。歩いていたら何回転んだ事か。昭和新山は昭和18年12月28日に平坦な麦畑から突然溶岩が吹き出し、2年後に山頂は407mまで持ち上がったと言います。1910年の有珠山噴火以後お湯が湧き出すようになったといいますから洞爺湖温泉の歴史もそんなに古いものではないようです。有珠山は1977年、2000年と大きな噴火を起こし、有名になってしまいましたが、特に2000年の噴火による被害は大きく、国道の寸断、西麓の建造物破壊、植物も吹き飛ばされ深刻な状態だったようです。現在では整備し直され、有珠山にも再びロープウェーで上がれるようになっています。
下から見ると険しい岩山に見える昭和新山も上から見ると溶岩ドームのハッキリした変わった形をしています。
有珠山の詳しい事はこちらへ


スーパー北斗で函館へ
有珠山見学後、ようやく今回の旅行初めてのラーメンを食べ、路線バスで洞爺駅へ。洞爺からまたまた「スーパー北斗」のグリーンで函館へ。大沼公園あたりでは真っ白な「駒ヶ岳」も見る事が出来ました。そして4日ぶりの函館です。


□ 函館
日ぶりの函館です。とは言っても行きは慌ただしく列車の乗り換えだけでホームから出れませんでした。洞爺の駅で一本早い北斗のグリーン指定をとれたので、1時間早い函館到着となりました。晴れてはいないもののあまり寒くはありません。昨晩、ホテルでいらない物は皆、宅急便で送ってしまいましたからあまり寒くても困ります。市内の遊覧は明日にして、今日は駅から函館山の間を歩いて散策です。いつものように大きな荷物は駅のコインロッカーに預け、さて出発!!
函館には赤レンガ作りの建物が目立ちます。函館の街は両側を海に挟まれ一番狭い所では1k程度の幅しかありません。この為、火事が起きると風により大災害になるという宿命を背負ってきました。これまでにも何回も火事による大災害を受けてきています。そこで、少しでも火事に強い建物を!といった理由から燃えないレンガ作りが多いとの事でした。

函館駅

2年程前に出来たばかりという函館駅。ここまで来ると道東のような乾いた雪ではないので、歩道はシャーベット状の雪。締まりが悪いですから当然足下も滑りやすいです。着替えが有りませんから転ぶと悲惨です。
旧函館郵便局

赤レンガの立派な作りの建物です。現在は「はこだて明治館」と名を変え、工芸品のショッピングモールとして使われています。
の角度から
イカのマンホール

さすがイカの街、函館です。マンホールの蓋のデザインもイカ。何のマンホールなのかは未確認。
こんな店も

和洋折衷

函館だけに見られる建築様式。一階は純和風建築、2階は洋館風作り。一般庶民がチョット洒落た建物をと考えてこのような形になったようです。こんな建物が結構残っています。
こんなのも
カトリック元町教会

これは明治9年創建の教会。火事で焼け落ち明治43年に再建されています。火事見舞いに当時のローマ法王ベネディクト15世から贈られた豪華な祭壇は見事な物らしいけど...。中の見学も可能みたいです。
ハリストス正教会

ハリストスはロシア語でのキリストの事で、ハリストス正教はロシア正教になります。ロシア人のニコライが函館にきて布教を開始した宗派ですが、現在の本部は東京の「ニコライ堂」
別アングルから

函館山ロープウェー

函館に到着したこの日、函館山の山頂は見えていたのですが、この後は函館を発つ時までガスに隠れて見えませんでした。この時行っていれば....。
でも函館山は夜景ですね。昼の明るい時登ってみたところで仕方ないか!。結果を言えば「今回、函館山からの夜景を拝む事は出来ませんでした。残念!!」
また、次回です。(いつの事やら)
函館山ライブカメラ

駅に戻り荷物を持って駅前のバスロータリーから路線バスに乗り「湯ノ川温泉」へ。「湯ノ川温泉」は道南で最大の温泉地なのだそうです。北海道には本州のような純和風旅館はあまりありません。殆どはホテルでこの「湯ノ川温泉」も大きなホテルばかりでした。探せば和風の旅館も有るのかもしれませんが、多分、高いでしょう。夜、ホールでは中国の楽器(3種類)の演奏なども行われ結構楽しめました。
明日はいよいよ北海道での最終日。今、外は雪です。