西国巡礼 ひとり旅   3日目(2013年4月9日)
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  桂川PA➡善峯寺➡總持寺➡醍醐寺➡穴太寺➡勝尾寺➡中国自動車道西宮名塩SA泊

名神高速桂川PA

昨夜の宿に桂川PAを選んだのは正解でした。夜トイレに行ったらトイレの掃除班でしょうか。水で流してブラシで擦って、最期は大きなドライヤーで乾燥。お陰で朝起きて一番のトイレに入ったらピカピカ。あの管理体制は感激ものです。
隣の車を見ると、こちらも車中泊だったようですが、荷物の整理なのか社内の荷物を総詰め替えの真っ最中でした。自分の車はハイエースのSUPER GL 。車内のスペースは余裕が有りすぎで、かえって何をどこに閉まったのか分からなくなってしまいます。今回準備したもので役立っているのが、DC12Vを100VACに変換するインバーター。容量は150W程度ですが、iPhoneの充電、ノートパソコンの充電、カメラのバッテリーの充電などなど、かなり助かっています。ファンレスなので動作も無音で静かです。準備すればヨカッタかと思うのが窓をブラインドするもの。やはりカーテンは欲しかったです。

善峯寺  (20番札所)

まずは善峯寺。ここは20番札所になりますが、効率よく廻るために順番はかなり入れ替えています。
善峯寺は長元2年(1029)源算上人が47歳の時に善峯に入山し自らが彫った十一面千手観音を安置し、開山しています。鎌倉以降は青蓮院の法親王が籠居になり、西山宮門跡と呼ばれ発展しましたが、応仁の乱で伽藍の殆どを焼失しました。江戸時代になり、徳川綱吉の母「桂昌院」が復興に尽力し再建しています。桂昌院が再建したと伝えられる山門に安置される金剛力士像は寺伝によれば運慶の作とされています。
境内には桂昌院お手植えの垂れ桜や紫陽花苑があり花の寺としても知られ、多宝塔前の40mも幹が伸びる松は「游龍の松」と呼ばれている五葉松で樹齢600年以上と云われ国の天然記念物となっています。

總持寺  (22番札所)

再び名神高速に乗り、茨木ICから総持寺へ。寺は阪急総持寺駅の近くの賑やかな地域にあるにもかかわらず、楼門式仁王門を潜って總持寺の境内に入ると周りの賑わいが別世界のことのように思える程の別空間です。
尚、この仁王門は豊臣秀頼により再建されたと伝えられていますが史実なのかどうかは分かっていないようです。 本尊は亀に乗った千手千眼観世音菩薩で、これは寺に伝わる「亀の恩返し」伝説によるもので、助けた亀に恩返しされるなんて、まるで浦島太郎伝説のようです。助けた亀に助けられた藤原中納言山陰が、父高房の遺志により創建したのが總持寺。山陰は料理の名手で毎年4月には「山陰流包丁式」が行われ、料理人に縁の深いお寺としても知られていて、本堂裏には包丁を供養する包丁塚もあります。
さて、今日は忙しいので先に急ぎます。

上醍醐寺  (11番札所)

茨木ICから再び名神高速に入り、京都南icへ。そこから醍醐寺に向かいます。 11番札所の上醍醐寺は醍醐の山の上にある准胝堂ですが、平成20年の落雷で全焼し、現在の納経所は下醍醐の観音堂になっています。お陰で(といったら罰が当たりそう)山登りはせずに済みました。(その後、平成26年に上醍醐の開山堂まで行きましたが准胝堂は未だ再建されていませんでした)
サクラの時期でもあり、醍醐寺は大勢の観光客で溢れていました。醍醐と云えば秀吉の花見がよく知られていますが、この花見の場所へは登山道からも入れなくなっていました。何か理由でもあるのでしょうか。醍醐寺は文明2年(1470)五重塔を除く下醍醐の伽藍全てを消失しています。今日の景観に戻したのは秀吉によるところが大きく、最後に畿内の4カ所から桜の木700本を取り寄せ、大々的な花見を行っています。秀吉はこの5ヶ月後に没していますが、秀吉の遺志を継いだ秀頼の寄進により、上醍醐の如意輪堂、五大堂及び御影堂が再建されました。

穴太寺  (21番札所)

穴太寺は亀岡にある21番札所で、身代わり観音の寺として知られていますが、ここで珍しいのが釈迦如来大涅槃像です。涅槃像だから横になっているのは当然ですが、この涅槃像には布団か掛けられていて、お詣りに来た人はこの布団をめくり自分の体の悪い所を撫でてやると良くなるのだそうです。今までには何人の人に撫でられたのか、このお釈迦さんはピッカピカに光っていました。 火災で焼失してしまい、その後、輪王寺から送られたという本坊は江戸時代中期の建物です。日光の輪王寺と云えば徳川家、そして、それに繋がる天海僧正が思い起こされます。そういえば、明智光秀=天海というような話もあります。亀岡は一時期、光秀の領地だった事を考えると、光秀=天海という話も可能性はゼロでもないかと思えてきます。城の石積みでよく知られる穴太積みと穴太寺は何かの関連があるのでしょうか?そういえば穴太衆と呼ばれた石工集団も坂本を本拠地としていて、そこの領主は光秀でした。

勝尾寺  (23番札所)

穴太寺を2時過ぎに出て、次の勝尾寺に向かって南に進みます。山間地を50分近く走り、勝尾寺に到着。中に入ってビックリ。ピンクの枝垂れ桜が満開で見事なものです。おまけに池を渡る橋の下からは水煙も出て演出が凄いです。
元慶4年(880年)当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたと伝えられています。また、古くより「勝運の寺」、「勝ダルマの寺」としても知られ、勝運成就したダルマが所狭しと奉納されています。
承元4年(1210年)には晩年、讃岐国流罪から戻った法然が当寺に滞在していたといい、滞在中に居住した建物は二階堂といい、真言宗である勝尾寺の中でもこの二階堂だけは浄土宗となっています。

これで今日の予定は終了し、取りあえず南に向かいます。さて、風呂にも入りたいし、と思いiPhoneの「日帰り温泉アプリ」で探してみると明日一番で行く予定の「中山寺」の近くに「宝乃湯」というスーパー銭湯があるようです。
高速道路を使うことも無さそうな距離なので、一般道を西へ進み、暗くなった頃「宝乃湯」に到着。今日もよく走りました。家を出てから車中泊をしながらの3日目ともなると体も疲れてきているようで、夕方になると運転するものウンザリしてきてしまいます。風呂にゆっくりと浸かりながら、ノンアルコールのビール?を呑んで、今日の宿泊場所を探してみましたが、近くにはあまり良い所が無いようです。仕方なし、中国自動車道の「西宮名塩SA」まで行く事にしました。明日朝一でまたこちらまで戻ってこなくてはならなくなりますが、やはり高速のサービスエリアが一番安心出来ます。
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