2016年5月12日、3回目の旧中山道ウォークです。いつものように品川駅で高崎線に乗り換えてみたものの、いつまで経っても動く気配無し。車内放送によれば川崎あたりで停電の為に、運転見合わせ中とのこと。仕方なし、新幹線で東京まで行き、そこからは上越新幹線で高崎まで行くことになってしまいました。おかげで始めて2階建ての上越新幹線に乗ることが出来ましたが、余計な出費となってしまいました。単発で済む事と違い、何回も続くものは1回1回の経費を出来る限り抑えなくては出費が増える一方になってしまいます。少しでも安く!です。
安中 松井田 坂本 軽井沢 沓掛 追分 小田井 岩村田

1日目 吹上駅 〜 安中 〜 松井田 〜 横川駅

高崎で、安中行きの電車には時間に余裕があったので、高崎駅で早めの昼食を済ませ、信越本線で安中駅に辿り着き、ようやく3回目の中山道ウォークをスタートする事が出来ました。新幹線を使った為に、当初の予定より1時間遅れ程度ですみました。
  今回もただ宿宿と歩もうぞ
それにしても今日は暑くなりそうです。安中駅をスタートし、コースを少し外れて復元された「旧安中藩武家屋敷」を見にいってみました。4軒長屋の屋敷で、江戸時代の武士の住まいとしてはごく一般的なものであったようです。安中城はこの近くにありましたが、現在は何も残ってはいないようでした。
中山道に戻り、少し西に進むと「新島襄先生旧住宅入口碑」と随分仰々しい碑がありました。こんな時でなければ見ることも無いだろうと、街道を外れて見に行きました。旧住宅とは云っても、米国から帰った新島襄が両親の住むこの家で3週間ほど過ごしたという程度ののようです。ここで安中関連のパンフレットをたくさん貰うことが出来ました。
暑ーーーいです!
安中は安政遠足と呼ばれるマラソンの発祥の地となっていて、これは現在でも「侍マラソン」として毎年マラソン大会が開催されています。これは安中をスタートし、碓氷峠までの約29キロ程のコースで行われていて、因みに今年の優勝タイムは2時間7分前後だったか?
小説「一路」でも、蒔坂の殿さんが熱を出し江戸到着が遅れそうになった時、安中藩の領主の計らいで江戸まで安中藩士が遅れる旨を書いた書状を届ける場面がありました。あの小説の中ではこの3人の藩士の姿は早すぎて人には見えず、つむじ風と思われたくらいですから凄いです!。
西に進み、松井田宿近くになると安中からはまだ小さく見えていた妙義山が大きく目の前に迫ってきました。地元のおじーさんが、妙義山に開いている穴を教えてくれました。妙義山の岩壁をよーーーく見ると、確かに二つの穴があり、向こう側が見えていました。
   古の慣わし偲ばる桐の花
いつもは元気な紅一点の乙姫さんことTさんも、暑さにメゲてかだいぶ疲れている様子です。確かに暑い!!
ゴール近くになった所で信越本線の線路脇に出ました。列車の時刻を調べてみると、あと数分で下り列車が来るようです。写真を撮るにもポピーが咲いて丁度良い感じ。しばし待つこと数分。ようやく電車が来てくれました。
以前は碓氷峠の急勾配を登るアプト式の軌道がありましたが、長野新幹線の開通とともに、信越本線は横川ー軽井沢間は無くなってしまいました。その為に信越本線とはいってみても、3つに分断され、高崎から横川、長野市の篠ノ井駅から長野駅、上越市の直江津駅から新新潟駅となってしまっています。長野と新潟の2つは名前が変わっただけで済んでいますが、群馬から長野に抜ける横川ー軽井沢の間は鉄道そのものが消えてしまい、この間はバスでの連絡、または高崎駅から新幹線を利用しなければならなくなりました。
  横川や何時しか背に見る妙義山
ほどなく今日のゴール、横川駅に到着です。「峠の釜めし」で知られる「おぎのや」の駅弁釜飯も乗客のいない駅前での商売から、販売の拠点は高速道路のSAなどに変化してきているようです。
再び安中駅に戻り今日の宿に向かいます。
上越新幹線「とき」 安中をスタート
安中藩 武家屋敷 新島襄宅
安政遠足之図 妙義山が近くなってきた
信越本線 妙義山の穴
横川駅 峠の釜めし「おぎのや」

2日目 横川駅〜坂本〜軽井沢〜沓掛

2日目の朝、駅までは歩いて行こうと思っていたら宿の主人が駅まで送ってくれました。今日は中山道をスタートして初めての峠越えです。それも難所として知られる碓氷峠越えですから少しでも体力は温存しておきたいところです。
安中駅から再び横川駅に向かい、いよいよ碓氷峠を目指して2日目のスタートです。スタートしてすぐの右手上に茶屋本陣跡がありました。跡となっていますが、そこにある建物が本陣だったのか?どうも説明を読んだだけでは分かりません。この家にも人は生活している雰囲気がありました。そこを過ぎると右に碓氷関所跡があります。この関所でも箱根の関所と同じように「入り鉄砲と出女」を厳しく取り締まっていました。関所を過ぎて暫く狭い坂道を登っていくと坂本宿に入ります。真っ直ぐ刎石山に向かう坂道に開けた坂本宿は、碓氷峠を控え旅人で賑わった宿場でした。
  喘ぎ越ゆ碓氷峠や若葉風
時期も5月上旬と云うことで、まさに新緑の季節。緑もまだ色濃くなく光の透ける木々の葉が綺麗です。碓氷峠への登りは尾根に出るまでが大変なだけであとは尾根道を行くだけだから楽だよ、と聞いてはいましたが、それでも尾根に出るまではそうそう簡単ではありません。途中には石仏も数多くあり、ここまで運んだものだとすれば随分と信仰心の篤い人達が大勢いたのでしょう。山道が南側に回り込むと「覗き」と呼ばれる所で一部視界が開け、下を見れば先ほど歩いて来た坂本宿が一望出来ました。一旦尾根道に出るとあとは緩い傾斜の山道が続きます。新緑の広葉樹林のなかに点在するツツジも満開で、綺麗です!一番いい時期に碓氷峠を越える事になったようです。まだ、さほど気温も高くなく、おかげで汗まみれになることもありませんでした。
何故か途中で出会う人は外人さんばかりで日本人に会うことはありませんでした。どうしてなんでしょう?
  遠足も 足を鍛えし最難所 今日は越えよぞ 碓氷の峠
  喘ぎ越ゆ 碓氷峠や 若葉風
大変だと思っていた碓氷峠越えが大変ながらも、これまでで一番楽しい中山道ウォークになりました。スタートから5時間後の午後1時、ようやく峠に到着し、峠の茶屋「しげの屋」さんで乾杯。ここが群馬県と長野県の県境にもなっていて、店も両県に跨がっていました。自分たちの座った席はその県境だったようで、テーブルの真ん中で分かれていました。  
  群馬にて 注文のそば長野にて 食べて頬撫づ 風何処より
十分な休憩をとり、向かいにある熊野神社に参拝。ここも県境は社殿のど真ん中を貫いていて、賽銭箱も群馬県側と長野県側にそれぞれ一個づつ置かれていました。
熊野神社への参拝を済ませ、軽井沢に向け下山です。登ってくるのに較べれば下山はあっけなく終わり、軽井沢宿に入ります。しかし、宿と云っても今の軽井沢はそんな雰囲気は殆ど残していません。洒落た老若男女がこれまた同じような犬を連れ添って歩いています。
なんじゃこりゃ!
街道ウォーカーに軽井沢の街は似合いません。早々に軽井沢は通過です。
車の往来の激しい道路を歩いて行くと右手に小高い山があります。この山は「離山」。和宮降嫁の折、この山は「離」の文字が縁起が悪いと云うことで「子持山」と一時的に山名を変えたようです。
  乙姫に 会う由もなき この道中
軽井沢宿から「沓掛の時次郎」で知られる沓掛宿までは僅か3.9キロ。
程なく沓掛宿の中軽井沢駅に到着です。ここからしなの鉄道に乗って今夜の宿のある御代田駅まで行き、明治創業という明治屋旅館に入りました。
苦労を覚悟していた碓氷峠越えでしたが、逆に一番楽しい山歩きになりました。
茶屋本陣跡 碓氷関所跡
信越本線終点 刎石山
覗からの坂本宿  碓氷峠への山道
碓氷峠 軽井沢宿
離山 中軽井沢駅

3日目 沓掛〜追分〜小田井〜岩村田

3日目です。
昨夜も宿でしっかりと呑んでしまいました。やはり街道歩きもこれがなければ楽しさは半減です。
御代田駅から再び中軽井沢駅に戻り、今日は沓掛宿からスタートです。靜岡では終わってしまっているツツジも寒い軽井沢では今が満開を迎えていて、街道沿いは百花繚乱。汗も掻かず、花を愛でながらの何とも優雅な街道ウォークになりました。沓掛宿から追分宿の宿間は5キロもありませんから、まもなく追分宿の標識があり、旧街道に入ります。追分宿は驚くほど綺麗に整備されていました。この財源はどこから出ているのか?
追分宿に入ってまもなく、堀辰雄文学記念館がありました。堀辰雄は本陣の「つげの間」で著書「風立ちぬ」を執筆しました。この記念館の門は本陣の裏門を移築したものとなっています。
どこもかしこも新緑の緑と満開のツツジの彩りが綺麗です。この先で旧街道が国道に合流したところが追分宿の京口(西の入り口)になります。車の往来の激しい国道を少しだけ西に進み左の旧道に入ります。
少し進んだ所が「笑坂」。京方面から急坂を上がってきた旅人が追分宿の明かりを見て笑みをこぼしたところから名の付いた坂です。
  千代ちゃんの足ずる音の高まりて
          ただただビ-ル 恋しかりけり

笑い坂の先に大きな用水路がありました。よく見てみると「千ヶ滝湯川用水温水路」と書かれています。これは用水に流す水の水温を上げているのだとか。この近隣の水は浅間山の雪解け水や湧水を水源としているために、水温が低すぎてそのままでは稲作に使えないようです。そこで一旦溜め込んで、尚且つ水路の深さも浅くして水温を上げるようにしているようです。
スタートから2時間半で昨日泊まった御代田に戻ってきました。駅の手前に「御代田の一里塚(41里目)」があります。この一里塚は寛永12年(1635)に街道の付け替えが行われた為、これによって取り残された一里塚で畑の中に両塚とも残されています。地元の人の話によれば、西塚に植えられていた桜の木は数年前、落雷により枯れてしまったとの事でした。
追分宿から5.7キロで小田井宿です。この宿場も綺麗に整備されていて、所によっては江戸時代に迷い込んだような雰囲気もあります。本陣、脇本陣、問屋、高札場、と宿場にあるべきものが揃っている貴重な宿場でもあります。
ここを抜ければあとは国道を岩村田に向かい進むだけです。
国道に出たところにあったラーメン屋さんで昼食となり、残りもあと僅かなので、またまたビールで
「カンパーーイ!」
1:05PM 今回のゴール「岩村田駅」に到着 !
  ゴーーーーーール!! 日本橋から171.5Km
予定していた到着時間よりはかなり早くゴールできて余裕です。
ここから、始めて乗る小海線で小淵沢駅まで行ったら、いやにホームが混雑しています。何事かと思えば特急2本がまだ到着しておらず、その乗客が溜まってしまっているようです。と云うことは自分たちが乗る電車もまだまだ出ないようです。30分程の遅れでようやく電車がスタート。甲府で1時間ほど待って乗り込んだ「富士川ワイドビュー」でしたが、富士までは順調に来たのに、蒲原駅でストップ。何でも、靜岡、清水間で事故があり運転見合わせ中とか?
結局電車の中で2時間近く待たされ、清水駅に着いたのは10時半になろうとする頃。結局、打ち上げ無しで終わってしまいました。
  トラブルも 楽しき旅の1ペ-ジ
プレッシャーとなっていた碓氷峠も無事に越え、さて、次はいよいよ和田峠です
明治屋旅館(御代田) 沓掛宿
馬頭観音 堀辰雄記念館
追分宿 千ケ滝湯川用水温水路
御代田の一里塚 小田井宿
岩村田宿

ゴールの岩村田駅

ようやく碓氷峠を越え、長野県に入りました。これで東京都、埼玉県、群馬県、長野県と4県目です。流石にお江戸は遠くなった感がし、人間の足の力に感心します。中山道半分まで行くにはまだまだですが、半分あたりまで来た時が一番気分も乗ってくる頃なのでしょう。
1名参加できないでいるのが残念ですが、こんな事で膝を壊してしまうのも馬鹿げた話です。やはり御身大事が一番。さて、そろそろ木曽路も見えてきました。と、その前に和田峠が.....