鳥沢宿 〜 阿弥陀海道宿

第4回目は鳥沢宿から阿弥陀海道宿までの約20Km。時期的にも紅葉のシーズンでもあり、赤や黄色に染まった街道を歩けるかと期待しましたが、今年の紅葉はどこもあまり綺麗に色付いてはいないようです。そのような状況の中でも猿橋の周辺は綺麗に紅葉していました。心配していた寒さもそれ程ではなく快適な秋の街道歩きが出来ました。


 


鳥沢駅 〜 笹子駅  2017.11.16

JR鳥沢駅

大月駅に車を駐め、中央線で鳥沢駅まで行き、4回目のスタートです。心配していた寒さもなくウォーキング日和になりました。今回のコースは国道歩きがかなりの部分を占めていて単調な街道歩きになりそうですが、今の時代、これは仕方ない事なのでしょう。

鳥沢宿

鳥沢宿は上鳥沢と下鳥沢の2宿あり、問屋業務は半月毎の交代で行っていました。また宿場制定の時から道路幅を広くしてあったため、明治になり国道が通っても宿場の建物は残ってきたという珍しい宿場でもあります。

水路橋

橋の上流側を見ると何やら水路が通っています。それもレンガ造りでかなり古い物のようです。これは桂川から取水している駒橋発電所からの排水を下流にある八ツ沢発電所まで送っている水路でこれら発電所設備全体が国の重要文化財に指定されています。

猿橋

猿橋に到着。この谷を渡る猿からヒントを得てこの橋が架かったと言いますが、言い伝えによれば、古代・推古天皇610年ごろに百済の渡来人で造園師であった志羅呼(しらこ)が、猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造られたと言われています。
 奇人等が 奇矯猿橋眺めをり  一秀

猿橋

こうした場所では通常吊り橋が用いられますが、江戸時代の日本にはもう一つ、刎橋という形式がありました。 刎橋では、最初、岸の岩盤に穴を開けて刎ね木を斜めに差込み、中空に突き出させます。その上に同様の刎ね木を突き出し、下の刎ね木に支えさせますが、支えを受けた分、上の刎ね木は下のものより少しだけ長く出します。これを何本も重ねて、中空に向けて遠く刎ねだしていき、これを足場に上部構造を組み上げて、ここに板を敷いて橋にしました。

八ツ沢発電所 第一号水路橋

猿橋の下流側に水路が見えます。これも先ほど見たレンガ造りと同じ時代の物です。渓谷の紅葉とそこに架かる猿橋と水路橋。それらが旨くバランスして綺麗な景観を生み出しています。今年一番の紅葉でした。

猿橋溶岩流

今から約6千年前の新富士火山古期溶岩流が富士山より延々30Km以上を桂川に沿って流下してきた溶岩流の末端部です。溶岩流中心部には材木を並べたように見える柱状節理が綺麗に発達しています。(説明看板より)
 大月や 甲州道中霜踏みて  一秀

桂川渓谷

ここまでは広かった桂川の川幅もここで一気に狭くなり、峡谷となって猿橋のある下流に向かいます。ここからラフティングボートの川下りも行われています。料金は2000円とか。

桂川

下流側から遡ってくると、桂川はここで急に川幅が広がりその向こうに駒橋発電所がみえています。駒橋発電所の周辺、またここから八ツ沢発電所までの間には数多くの文化遺産に指定された建造物が数多く残っています。電力を必要としていた東京近辺ではこの辺りの地形が発電所建設には適していたという事だったでしょう。駒橋発電所は日本における長距離送電の草分けとなった発電所でもあります。

発電水車

駒橋発電所内に記念物として保存されているフォイト社(J.M.Voith)製のフランシス水車(1912年製造)。元々は桂川電力公司・鹿留発電所で使われていたものです。  桂川電力公司は、1922(大正11)年2月に東京電燈株式会社と合併し、のちに現在の東京電力株式会社になりました。

駒橋発電所水圧鉄管

2本の送水鉄管の右にある小さな鉄管跡は完成した当時の起動用発電機の為の鉄管。発電機の起動には電磁石が必要なのですが、当時その電磁石の為の電源は有りませんでした。そこで最初永久磁石を使った小型の発電機を回し、そこで得られた電気を本機の起動に使っていました。

岩殿山

大月市ではどこからもよく見える岩殿山は大月のランドマークとも言えます。さほど高い山ではありませんが、大きな岩肌が露出した山容は迫力があります。かつてここにあった岩殿城は武田家臣の小山田信茂の城でした。信茂は武田勝頼を裏切り信長方に寝返り、最期は裏切り者として信長に殺されてしまった武将として知られています。
名山を ひねもす見遣り秋深む  一秀

余水放流路

駒橋発電所水槽の余水放流路。コースミスして桂川まで下りてしまいましたが、お陰で綺麗な紅葉と滝を見る事が出来ました。駒橋発電所の周辺には発電所に関わる歴史遺産も多いため、これを見て回るハイキングなども人気があり、ここを歩く人も多いそうです。

猿橋型ベンチ

車を駐めた大月市まで戻ってきました。街道沿いに猿橋型のベンチがありました。大月市は人口25,000人程の市で、かつては基幹産業であった繊維産業で栄えましたが、現在ではこれも衰退し、また勤務先も乏しく、長期不況による都心回帰現象などによる人口減少が続いています。

下花咲宿星野本陣

大月宿を過ぎると下花咲宿です。予想したようにやはり今日は国道歩きが続きます。今回の宿場図を見れば分かるように今日の行程20Kmの中で10の宿場があります。これは裕福でない宿場で伝馬制の問屋業務を賄えきれなかったという事に寄るようです。半月ごとの当番制なども取り入れていたようです。

日本電気

山の上に何やら近未来的な異形な建物があります。UFOを連想させるようなSFチックな形をしており、かなり目立ちます。こらはNECの子会社であった「山梨日本電気」の社屋。2017年、”NECプラットフォームズ” に統合され山梨日本電気は消滅しています。

いなだや

途中で電話して確認しておいた「いなだや」さんに到着。ここを過ぎると食事処は無さそうなので最後の砦でした。いつものようにビールを飲みながらの昼食になり、1時間近くもこの店で粘ってしまいました。安い割に美味しかったです。ここはお勧め。

芭蕉句碑

八百屋お七による江戸の大火の際、実姉の居た初狩に避難していた松尾芭蕉。その際に詠んだ句が碑文になっています。
 山賤の おとがいとづる 葎かな  芭蕉
と松尾芭蕉が詠んだ句碑が旧初狩小学校前にあります。
東海道、中山道、と縁のあった「八百屋お七」にまたまた出会いました。不思議な縁。

変わった造りの家

出梁造の家なのですが、一風構造が変わっています。出した桁の上に梁を載せた所謂出し梁造りなのですが、この桁を地上から起ち上げた柱が支えています。この方が強度は遙かにありそうですが、単にデザイン的なものでしょうか。雪国にある雁木の家に似ています。

コースミスから復帰

ミスコースして戻り正式なコースに復帰。コースの確認にはiPhoneアプリの「Geographica」を使っていますが、ずっと見ていたらバッテリーが直ぐに尽きてしまうので、時々見て確認するに留めています。運悪くこの「時々」の間に分岐点があると通り過ぎてから気が付き戻る、と言ったことが時々起きます。

レンガ造りの蔵

赤レンガ造りの洒落た蔵。屋敷もかなり大きな家で、これまでのそれなりの暮らしぶりが伺えます。この蔵には一体何を入れたのでしょう。この辺りは田んぼはそれほど広くあるわけでも無く、何を入れるための蔵だったのか?

中央高速と20号線

右にづっと中央高速を見ながらの行軍です。空は青く、山の山頂付近はすっかり葉をふるってしまい、すっかり冬支度の山里の景色が広がっています。
錦木や 夕日にに透けて燃え立ちぬ  一秀

中央線 古い橋台

使われなくなった中央線の古い橋台と思われます。レンガ造りでなかなかの風情があります。現在の白いコンクリート造りの土木工事と較べると、明治の技術者達の洒落た気概を感じます。

白野宿

この地にはかつて、葦ヶ池と呼ばれる沼地でした。 葦ヶ窪地区の地頭小俣左ヱ門尉尚家には、「よし」という 娘がいました。 ある時、近くの阿弥陀海「阿弥陀堂」に京の都から僧が 着任しました。 よしはその僧に恋心を抱きましたが叶わず、嘆き悲しみ 葦ヶ池へと身を投じました。そして毒蛇となり人々を苦しめていました。<次に続く>

葦池碑と葦ケ池標柱

<続き>親鸞聖人が萬福寺への参詣から帰る途中、地頭の懇願 によって21日間、小石に南無阿弥陀仏の六字名号を 書き記し、池へと投入しました。 すると異様な轟きとともに毒蛇は成仏したと言うことです。
写真は中央線が開通する頃まで残っていた葦ヶ池の由来を示す碑。

新酒の売り出し

此所は紅白幕が張られ大勢の人で賑わっていました。どうやら新酒祭りが開かれていて、この時に酒は飲み放題だったみたいです。またここには、直径4.8m、長さ4.95mの世界一の太鼓があるらしく、これだけでも見ておけば良かったと後悔!

笹子駅 ゴール

pm2:37 笹子駅に到着。すぐの電車があるようなのでホームに行ったところ電車は既に入線していました。ところがこの電車、長いホームの端っこに留まっていてそこに行き着く前に発車してしまいました。結局、何も無い駅でそれから1時間待つ羽目に。

笹子峠の手前まで来ました。日本橋をスタートした時は暑さでやられて苦労した苦い思い出がありますが、刻の流れは早く、今山里の季節は晩秋とも言える時期を迎えています。本格的な寒さが来ないうちに笹子峠を越えてしまおうと、12月の初旬に甲府盆地まで抜けることになりました。振り返って見ると今年は随分あちこち出掛けました。これまでにもこんなに出掛けた年はありませんでした。体力も必要な事ですから、出来るうちに出来る事をしておくのが一番と思います。
さて、いよいよ次は笹子峠越えだ!