100寺巡礼 第3回 (山梨)


柏尾山 大善寺

薬師堂(国宝)

山号  柏尾山
開基 (伝) 行基

正確な創建年代は不明だが、寺伝に拠れば奈良時代に行基の開創を伝え、本尊である薬師如来像の様式などから創建は平安時代前期と考えられている。
寺伝では養老2年(718年)、行基が甲斐国柏尾山の日川渓谷で修行した時に、夢の中に葡萄(甲州ぶどう)を持った薬師如来が現われ、満願を果たし、葡萄を持った薬師如来像を建立したことが当寺の起源であるとされている。
甲州葡萄の始まりは行基が法薬として葡萄の栽培法を村人に教えたことであるともいわれている。本尊の薬師如来像の持物は失われているが、元は右手に葡萄を持っていたという伝承がある(薬師如来像の右手は通常は掌を正面に向ける施無畏印であるが、大善寺の薬師如来像は右手を膝前に垂下している)。
鎌倉時代には鎌倉幕府が甲斐・信濃国において棟別銭を課して本堂が再建された。天正10年(1582年)、織田・徳川連合軍に攻め込まれた武田勝頼が岩殿城(大月市)に向かう時に大善寺に戦勝を祈願したが、岩殿城主小山田信茂の離反にあい、天目山で自決した。この一部始終を目撃した理慶尼が記した武田滅亡記が大善寺に保管されている。
薬師堂と堂内の厨子は国宝指定となっている。また日光・月光菩薩像、十二神将立像は国の重要文化財指定となっている。
新撰組最後の戦いとなった柏尾坂の戦いはこの近くで、柏尾坂の戦の描かれている錦絵には大善寺の山門が描かれている。