朝早く起き、アタテュルク空港からアンカラに向かう。1時間ほどのフライトでアンカラのエセンボア空港に到着。
アンカラは人口3.700,000人のトルコの首都。初代大統領ケマル・アタテュルクは1923年のトルコ共和国誕生と同時に人口わずか60,000人のこの地方都市を首都に定めた。トルコ近代都市のモデルとして都市開発が進んだため、トルコの他の都市とは違うモダンな雰囲気がする。
空港からバスでアンカラ市内に入り最初にいったのがアナトリア文明博物館。この建物はもともと隊商宿として建てられたものを博物館として改造した建物。アナトリアの旧石器時代、新石器時代、青銅器時代からアッシリア植民地時代、ヒッタイト時代の発掘品が並び、最後はギリシャ、ローマ時代になっている。
日本での発掘品の年代が紀元0年前後で有ることを考えたら紀元前50世紀から60世紀という時代はとんでもなく古い歴史と云う事になる。日本の歴史など足下にも及ばない。
アンカラ市内にあるトルコ共和国建国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクを葬るために建てられた霊廟。残念ながら中には入れなかったがここにも人形みたいに動かない番兵が入り口の両脇に立っていた。何をどうしても表情を変えない。
アタテュルクはトルコでは絶大な信奉がある。トルコの紙幣は全てアタテュルクの肖像画だ。額面のゼロを数えないと幾らの札か分からない。アタテュルクと名の付く公園や通りはトルコ全土にいったいどれほどあるのか?
アンカラを後にしてカッパドキアへ向かう。チョット市街に出るともうそこはなーーんにも草原が続くだけの世界。人口は極端に都市部に集中しているようだ。
途中にトゥズ湖と云う塩の湖があった。いわばトルコ版ソルトレイクだ。今は気温が低いため水が残っているが、夏になると水が干上がり湖面?は真っ白くなるそうだ。水をなめてみたらさすがにしょっぱい。(これ静岡の方言かな?)海の塩辛さとは較べ物にならない濃度のようだ。
陽が落ちようとする頃、道路は昔のシルクロードに入る。シルクロードの面影を残しておくために道路の拡幅はしないとの事。
昔、隊商が泊まったという粗末なキャラバン・サライ(隊商宿)が道路脇に崩れ掛けて残っている。この道を通り中国からは陶器やシルクが運ばれたわけだ。そう言えばトプカプ宮殿にも中国の皿や日本の古伊万里などが展示されていた。
この道をずっと東に行けば西安まで行けるのだろうか?
真っ暗くなった頃ネヴシェヒルのホテルに到着。ちなみにカッパドキアは地方名でネヴシェヒルは街の名前。
さすがにこれだけバスに乗っていると疲れた。なんて事は言っていられない。さてメール送信と思い、電話線を見ると予定外のモジュラー形状ではないか!。うーーん、参った。トルコは日本と同じRJ11タイプの筈なのに....仕方ない。カッパドキアからのメールはあきらめた。
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かつて隊商がラクダに荷を載せ通ったであろうシルクロード。車で走ってもなかなか進まない長い道のりを一体いく日掛けて中国まで行ったのだろう。いかにもシルクロードといった感じの道路。
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