今日は天気がいいようだ。ホテルの窓から見えるダーダネルス海峡も青く見える。チャナッカレはエーゲ海、ダーダネルス海峡、マルマラ海、ボスポラス海峡、黒海、と続くトルコの海路の入り口付近、エーゲ海とダーダネルス海峡の接点に位置する都市だ。海峡は軍事的な要衝でもあり海峡の沿岸都市にはかつての要塞跡が多数残っている。
今回は宿泊だけで終わってしまったが、そうかと云って見るべき所はあまりないようだ。トロイ観光の拠点として賑わっている。
ホテルからは十数分でフェリー乗り場に到着する。やはり天気がいいと云うのはいいものだ。フェリーにすぐに乗り込みここから約30分の航海。こんなフェリーの中にも物売りがいる。今日売っているのは香水。シャネルやニナリッチなどのブランド物が5つでたったの千円で、それも箱がかなり大きい。本物なら激安だが.....まさかね。
外を見ているうちに対岸の街エジェアバトに到着。ここからイスタンブールまではまだ300Km以上ある。予定では昼には到着するようだ。
しばらく左にエーゲ海を見ながら東に、東に進む。エーゲ海が見納めになると今度は右側にマルマラ海が見えてくる。イスタンブールまではこのマルマラ海にそって、所々で休憩や、買い物をしながら進むことになる。途中からは高速道路に入るが、なんともがら空きの道路だ。そうこうしているうちに再びイスタンブール。道路脇に発掘現場があったが、道路工事をしていたら遺跡が出てきてしまって工事は中断しているとのこと。歴史の古いイスタンブールではこのような事は頻繁におきるようだ。
ブルーモスク(スルタンアフメッド・ジャミィ)とトプカプ宮殿の間に建つアヤソフィアはビザンティン時代に建てられた、もともとはギリシャ正教の総本山。建物自体はその後何回かの消失を経て、現在の大聖堂は537年から6年の歳月を掛けて建てられたもの。
その後、1453年にコンスタンティノープルが陥落しオスマン帝国に変わると聖堂はジャミィに変えられ、1700年代には内部のモザイク画も漆喰で塗りつぶされてしまった。隠されてしまったビザンティン時代のモザイク画が再び日の目を見るにはそれから300年ほど待つことになる。
1931年アメリカの調査隊が漆喰の下からモザイク画を見つけてからは、アヤソフィアはビザンティン時代の遺跡として脚光を浴びるようになった。
現在ではジャミィとしては使われていなく、博物館として一般に公開されている。
ブルーモスクと形は同じように見えてしまうのだが、グレーっぽく見えたブルーモスクと違って、こちらは赤いレンガ色。回りの緑と旨く調和している。
今日は少し早いがホテルにチェックイン。今夜は最後の夜と云うことでベリーダンスを見ながらのさよならディナーだ。
夜出掛けるまでに前回行った店に行きビールとワインを調達。途中でトルコ語しか分からない店で一苦労して、つまみを調達。ホテルに戻り数人で宴会モード。旨くないと云いながら150円のワイン2本空けてしまった。
だいぶ酔いの回ったところでベリーダンス付きディナーに出発!!
新市街にあるレストラン?で席に着いたら室内は満杯状態。ドイツ人のグループとイタリアも居たのかな?それにもう一組の日本人の団体。トルコのベリーダンスは本当のベリーダンスではなくトルコ風ベリーダンスと云ったところらしい。真っ先に入ったおかげで座ったところがカブリツキの特等席。ウーーン ついてるー!
一緒に行った相棒などずっと左を向いていたために、次の日には首が痛い痛いと泣いていた。
ベリーダンスの終わったあとにはトルコの民族舞踊などもあり、結構楽しめた。
1週間ぶりのイスタンブール
1週間ぶりにイスタンブールに戻ってきた。やはり1000万都市と云うだけあって賑やかだ。いままで回ってきた他の街とは違う。
しかし、一般的に大都市というとそれなりの秩序があるものと思うのだが、ここはそれが感じられない。車の運転にしても無秩序であれでよく事故が起きないものだと感心してしまう。日本人では運転はとても無理だ。
人の歩き方、物の売り方、すべてが勝手に自分の思うように動いているような感じを受ける。それでいて何となく旨い具合に全体が動いているのだから秩序のない秩序。まるでカオスの世界だ。
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