朝起きて外を見ると快晴とは言えないまでもまぁまぁの天気。今日はここパムッカレの観光の後、エフェスまで行き、古代ローマ時代のエフェスの遺跡巡りだ。南に降りてきたからか海に近くなって来たからか、昨日までの気候とは違って暖かい。
古代の共同墓地。約2Kmにわたり、その数は千基ほどになると言う。古代共同墓地の規模としてはトルコ最大のものと云う。
墓自体は全て荒らされてしまっていて、石棺も開けられてしまっている。中の副葬品を狙った盗賊の仕業らしい。墓の中は浮浪者の寝倉にもなるというが、よくもまぁ、こんな気味の悪いところに寝泊まりできるものだ。荒れ果てた墓地は不気味だ。
紀元前190年に始まった都市の遺跡。ローマ、ビザンチン時代までの長きにわたり繁栄は続いたが、結局セルジュク朝により、町は滅ぼされてしまった。
バスを降りローマ門をくぐるとそこはアルカディア通り。入ったとたんに物売りがどこからともなく湧き出てくる。売っている品物を見ると、スカーフ、絵はがきなどだが、興味をひいたのが古コインだ。一見その遺跡から出てきた古代のコインに見えた。値を聞くと千円(日本語で)と云う。値切って500円で買ったが、ガイドさんに聞くとどうも本物ではないようだ。冷静に考えてみれば当たり前の話。そんなコインが500円で買えるわけない。
その後も他の物売りにしつこく付きまとわれて「買ったから要らない!。」と云っても結局アルカディア通りの端から端までつき合わされてしまった。
少し離れた所に円形劇場もあり、石灰棚の近くには付近の出土品を納めたヒエラポリス博物館もある。
来る前から楽しみにしていたパムッカレの石灰棚。残念ながら以前のように棚全体に温泉が流れている訳ではない。日本の棚田に石灰がこびりついて真っ白くなったものだと思えばいい。
温泉が流れ込む所にホテルが出来、ホテルで温泉を使ってしまったために流れ込む温泉が無くなってしまい石灰棚もアワヤといった事態だったようだ。しかし、近年このホテルを撤去し、昔の石灰棚の景観を戻す努力が続けられている。
温泉は一部しか流れていなかったものの棚の白さは本当に綺麗なものだった。数年後には昔の景観を取り戻し、以前のように温泉に浸かる事も出来るようになるだろう。
一部温泉が流れて足だけお湯につける事のできる部分がある。皆ここで裸足になって記念写真を撮っている。残念ながら本体はコンクリートでその上に自然の石灰が付いた石灰棚モドキだ。
パムッカレから西に向いエーゲ海に出た所にあるのがエフェス遺跡。紀元前から紀元後のローマ時代に栄えた都市の遺跡。
上水道、下水道、図書館、体育館、円形劇場、果ては売春宿まで整った当時の近代都市だった。図書館から売春宿までの秘密の地下道まであると言う。いつの世もxxxxだけは同じようだ。
遺跡の復元がかなり進んでいて当時の生活を伺い知ることができる。日本では縄文から弥生の時代に、上水道やら図書館などと云われてもピンと来ない。当時は圧倒的な差のあった技術や文化が何故二千年後の現在、その差が無くなってしまったのか?
不思議だ。当時の日本には図書館どころではなく、文字さえ存在していなかったのだから。これは世界中の初期の文明全てに言えることではあるが...。
戦争による破壊は一つの原因ではあるだろう。一つの文明を破壊し、根絶やしにしてまたゼロからのスタート、これでは進歩も遅れる。3歩進んで2歩下がると云ったところか。
争いのある国の進歩は遅れる。しかしとかく、経済発展が急務といった国にこそ争いはあるものだ。
紀元前7世紀頃から120年の歳月を掛けて建設された豊穣の女神アルテミスの神殿跡。完成後7回破壊され7回再建されたという。
高さ19m、直径1.2mの柱を127本持つこの神殿の壮大さは世界の七不思議の一つだった。125年にゴート族に破壊されその後はそのままになり、6世紀には石材が運び出されてしまい、現在では柱1本が残るのみで、昔の壮大さは伺い知ることさえ出来ない。
エフェスの遺跡から数キロ離れたブルブル山の中にマリアの終の棲家と云われる家がある。
18世紀末にアンナ・カテリーナという尼僧が、訪れた事もないエフェスの石造りの家の様子を語りだした。それからマリアの家探しが始まり、アンナの語ったとおりのこの家を探し当てた。彼女の話によればマリアは64歳で亡くなったと云う。
マリアの家を見学した後は西海岸を北に向い、今日の宿イズミルを目指す。イズミルはイスタンブール、アンカラに次ぐ第3の都市。ホテルに荷物をおき出掛けたところ、何やらヤバそうな雰囲気の一角で、我が愛車Ferrariのバッグを見つけた。これを相棒と2個買って1個450円程。安い!!。これが今回一番の買い物だったかな。
イズミルもゆっくり見て歩ければ結構面白そうな街だ。残念ながら1晩泊まるだけ。夜はツアーの仲間が大勢集まって宴会。あー、よく飲んだ!
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