気賀関所
引佐峠
御油宿ゴール
スタート地点の見付宿

姫街道  2010.1.4〜2.21


ピンク線は東海道 グリーン線は姫街道
現在の磐田の見付から東海道より分岐し浜名湖の北側を通って御油宿まで抜けているのが「姫街道」とよばれている東海道の脇街道で、これは東海道の裏街道ともいえる。東海道では舞阪から新居までの間は渡し船に頼るしかなく、また新居の関所の通過もかなり厳しかったようだ。それらを嫌った女性の通行が多かったのがその名の由来という。宝永の大地震で壊滅的な被害を受けた浜名湖南部を避け、これを迂回するために姫街道はかなり混雑したようだ。あまりの混雑ぶりに、幕府では大名の本坂越通行が禁止したが、交通量は減ることは無かったという。
この街道の正式な名称は「東海道本坂越」。
東海道に較べると少しだけ距離は短く済むが、途中には引佐峠と本坂峠の二つの峠越が待っている。

姫街道ウォーク出発!
東海道を完歩し、それまでは気持ちの中にあった三条大橋まで歩くという目標が無くなってしまい、日曜にリュックを担いで出かける必要も無くなってしまった。しかしkそれが1ヶ月続くとやはり何かをしていないと落ち着かなくなってくる。正月も三ヶ日が過ぎた2010年1月4日、正月休みで鈍った体に鞭打って、姫街道のスタート地点である磐田市見付まで電車とバスを乗り継いで行き、姫街道ウォークをスタートした。
この日は寒い日だったが6人が集まり今日のゴール予定である気賀に向けて歩き始めた。正月休みで鈍った体には丁度良い運動になるだろう。まずは北に向かい熊野の長藤で知られる行興寺の前を通って天竜川の土手に出る。

長藤の咲いている時はかなりの混雑となる行興寺も誰一人居なく、この時期は静かなものだ。街道も今時歩く物好きは自分たちだけのようで、リュックを背負った同族は見当たらない。それはそれで静かでいい。
昔渡船場があった所には渡船場跡の碑も建てられている。渡船があった時代とは違い今は歩いて渡るしかないので天竜川の土手を南に下り、1号線の橋で天竜川を渡る。街道ウォークで歩くのが怖いのがこの橋だなのだ。別に歩道のある橋ならいいが、車と同じ道路の端を歩くのは本当に怖い。
天竜川を渡り暫く西に進んだ所で東海道と別れ北へ、西へと進む。午前のうちは元気も良かったが午後になると正月休みの不摂生が たたり皆さんバテ気味で、かなりペースが落ちてきたが、夕刻までにはゴールの気賀駅に到着し、天浜線に乗って掛川駅に戻り、東海道線で清水に無事帰還。いい正月の運動になった。
2回目は2月20日、21日と泊まりで出かけた。スタート地点の気賀までは掛川駅より天竜浜名湖鉄道で気賀駅まで行きスタート。今回は友人全員が揃い9人の大所帯になった。気賀にも関所はあるが、新居関所と較べればその通過は簡単なもので済んだようだ。御油までには引佐峠、本坂峠と、難所が2カ所る。とりあえず一日目は三ヶ日の宿までノーーンビリ歩いた。宿に到着してから何人かは摩訶谷寺まで歩いて行ってきたようだが、バテ気味の残留組はビール呑んでグッタリ!。
さて2日目は本坂越えだ。特別に高いところを越えるわけでもないので体力的には楽なもの。それに本坂峠には椿の群生もあり、気分転換にもなる。ここからゴールの御油までは特徴も無く平坦な道が延々と続く。街道歩きで一番苦痛になるのはこうした何でもない道なのだ。豊川を抜け御油へゴールして2日ぶりに東海道とご対面。東海道の時歩いてからまだ1年は経っていないというのに懐かしい松並木の風景と再開できた。
二十代からの仲間が60近くになってみんなで街道歩きなんて、そうそう何処にもある話でもないだろう。しかし、これ以降、全員が集まったのはこの時のメンバーの葬儀の時になってしまった。残念!