太平洋から400キロ以上も歩いて来て初めて見えた日本海。日本海は霞んでいたが、海を行く船や 糸魚川の市街も見えて、感激の一瞬




薬師堂

廃屋

水田

観音堂

まむし塚

稗田山崩落記念碑

小谷 道の駅

砂山の石仏

茅の原

県境

大網

大網

大ザイの神(一本杉)

山口宿

中山峠

大野

糸魚川市街

奴奈川姫

ヒスイ原石

糸魚川駅

塩の道 第9回目(2015.6.10~12)

南小谷〜糸魚川 51Km


地図をクリックで詳細地図
GPSログデータ

1日目
(南小谷〜姫川温泉)

スタート以来満5年を過ぎた日本横断塩の道ウォークも今回でゴールインさせようと、2泊3日の計画を立ててみた。しかしコースに沿ってイメージしてみるとその内容はかなりハードで本当に今回で終わりになるのか?と少々不安にもなる。
僅かな距離を残して帰ってくる訳にもいかないのだから、もう一泊増やしてでもゴールするしかないだろう。
今回は車は宿に3日間駐めさせて貰う事にして、まずは姫川温泉の宿に向かう。姫川温泉といえばもう少し行けば糸魚川なのだから清水からではかなりの距離になる。そんなこんなで家を出たのは朝3時。4時間以上かけ、7:30 姫川温泉に到着した。しかし今回のスタート地点はここではなく、 さっき車で通り過ぎてきた南小谷からなのだ。姫川温泉から少し戻る必要があるのだが、電車はまだ2時間くらいの間はなし、バスなら1時間程で南小谷行きがあるようなので、それで行く事にして、近くにあった足湯に浸かっていたら突然バスが現れた。
ンン?なんで?
こんな時間のバスは無いはずなのだが、運転手に聞いたところ、スクールバスだそうで、これには一般客も乗る事が出来るらしい。そのかわり、何カ所か山の中の集落を廻っていくとの事。こちらとしては知らない所を廻って行くのならそれはそれで結構な話。バス代も定額で200円だという。
結局そのバスで何カ所か山の中に入りながらこの間来たばかりのスタート地点となる南小谷に到着。
8:30 最終回の塩の道ウォークをスタートし、20キロ先にある姫川温泉の宿を目指して歩き始めた。スタート直後に坂を登って、前回の後半のコースに似た山の中腹の等高線に沿った山道を行く。

庚申塔

田植えの終えたばかりの田
前回に比べれば緑も多くまさに初夏で、田植えを終えたばかりの小谷村だ。さほど気温が上がっているわけでもないが、やはり歩いていれば小谷といえど暑い。それに早朝出発という事もあり体は楽ではない。明日は大網峠が控えているというのにこんな山道で疲れているようでは明日も思いやられる。千国までは至る所にあった石仏も小谷からは極端にその数が少ない。たまに庚申塔や道祖神がある程度で、見るものは千国街道の標識と、のどかな山村風景だけになってきた。
下里瀬を過ぎると姫川から離れ浦川の上流部に出る。浦川の上流には「日本三大崩落」といわれる稗田山崩落地がある。この惨事は今から100年ほど前の1911年8月8日の未明、突如として起き、4キロ余に渡って崩落した土石流は浦川を下って姫川を堰き止めた。この時、死者は23名で済んでいるが、家屋、田畑の流出は70ha以上になったという。
この崩落地は今でも赤く土を見せている。


稗田山の崩落地
塩の道は塩尻あたりまでは日本列島を縦断する中央構造線に沿い、そこからは北はフォッサマグナの富士川・糸魚川構造線に沿って街道

茅を掻き分け進む

猫鼻の石仏群
がある。これは断層帯にある谷間を行けば大きな山越えは無しで済むという事なのだろうが、当然、断層帯なのだから地盤は脆い。この稗田山もほぼ富士川・糸魚川構造線の上にあるのだろう。崩落した土砂が流れ出た浦川も崩落以前は深い谷だったというが、今では広い河原になっていて、そこには防災のための砂防堰堤が何段も作られている。その堰堤の上で昼食にしてしばしの休憩をとった。
でもまだ中間地点までも来ていないし、まだまだ先は長そうだ。
北小谷まで来ると姫川の河原は凄く広くなる。これも稗田山の崩落土砂が流れ込んで出来た河原なのだろう。以前(といっても100年程前)はこの河原部分に 役場、学校、郵便局、駐在所などがあったという。
また、この辺りにはジュラ紀前期の地層が広がっていて、その時代に生息した首長竜の歯の化石もこの近くで見つかっている。そのためか道の駅には恐竜のオブジェも飾られていた。
地図を見ると中間地点は過ぎたようで、時間の方は12時を廻ったばかり。少し気持ちにも余裕が出来てきた。
朝スタートしてから幾つ峠を越えたのだろう。時間の余裕は出来たが体力の余裕は段々と消えてゆくばかりだ。さすがにアップダウンをこれだけ繰り返すとバテてきた。峠を越え、茅の原を掻き分け進み河原に出ると何やら建物が。それもあまり出來の良い作りでもないようだ。看板があり「湯原温泉」とある。どうやら日帰り温泉のようだ。かき氷でも食べたかったがないというので、仕方なし冷たいコーラにしたが、冷たいコーラが旨い!

新潟県に入った!

ここも大崩落を起こしている
出発する時に姫川温泉までの距離を聞いたら3キロ程という。これまでのペースで考えると1時間では無理だろうが、1時間半もあれば十分到着出来るだろう。
2:15  新潟県に入った。
2:20 今日最後の峠になる葛葉峠に登り出す。これは10分ほどで上の道路に出る事が出来、ここからは下り坂になる。ここで北の方向に尖った山頂を見せている山が見えた。この時はまだ山の名は分からなかったが、夜宿の女将さんに聞いてあの山がヒスイの谷で知られるヒスイ峡にそびえている明星山なのだと知った。

姫川温泉が見えた

白馬大仏

姫川温泉
下っていく途中に何とも風景に溶け込まない異様な物を見た。山の斜面に巨大な真っ白な大仏さんがいるのだ。それも顔はイマイチ、唇はピンクに染めている。帰ってきてから調べてみたところ、以前はこの大仏の前にはホテルがあり、そのホテルで作った大仏のようだ。完成した当時のパンフレットによれば、大仏の唇と白毫はメノウで作られていると説明されていたようで、その当時の唇は真っ赤である。しかし自分たちが見た大仏の唇はピンクだった。メノウの色が褪めていくわけがない。現在では前にあったというホテルの建物もなく、残っているのはこの大仏だけになってしまっていて、経済的な問題なのだろうか、壊したくても壊せない状況のようだが、そうした事を別に考えてもこの地には何ともミスマッチな大仏ではある。
姫川温泉を遠くに見ながら下って姫川まで出ると川の対岸には急な山がそびえている。地図で確認した所、明日一番にその山を越えて大網の集落に入るようだ。朝から大変な一日になりそうな予感.....
15:35 姫川温泉朝日荘に到着。
宿に到着して初めてした事はビールを飲む事だった。旨い!

2日目
(姫川温泉〜頸城大野)

2日目、いよいよ大網峠越だ。大網峠は標高は前に超えてきた小川路峠に較べれば遙かに低い。思ったほどの苦労も無しで越えられると思うが、それ以上に自分の年もそれなりの年になっているのだ。
                       右の最上段へ ▲
今日のスタート地点は昨日通り過ぎているので、宿の主人がそこまで車で送ってくれるという。歩けば15分ほどは掛かるだろうし、やはり峠越えに体力は温存しておきたいということで、車で送って貰った。
7:40AM 今日のゴールの根知駅を目指して出発する。昨日見た時は随分と大変そうに見えたが、山道ではなく林道だったので坂道の傾斜もそんなに急なわけではなかった。助かった!!

スタート直後は林道を上る

雨飾山(百名山)

横川の吊り橋
上まで一気に登り、そこから大網の集落に降りていく。地図を見て想像していたイメージとはかなり違う。
集落を過ぎると横川の吊り橋に向かって下り始める。せっかく登って来たのだから下りたくは無いのだが....
大網の集落から20分ほどで横川の吊り橋に到着。ここから本格的な峠越えの始まりだ。
昨日の酒も祟っているのだろう。体も軽くは無い。ここからは山道も急になり、汗をかきかき必死になって登るが途中で頻繁に休憩を取りながらのヨタヨタ登山である。昨日も腿が吊り出したりしたから今日は気をつけて、そこまでいかないうちに休みながらボチボチ登っていく。途中には牛の水飲み場や屋敷跡、菊の花地蔵など、いくつかあるが、登るのに精一杯で落ち着いて見ている余裕も無い。
小谷から糸魚川に抜ける街道は自分たちが越えている大網峠越えだけではなく、他にもいくつかの山道が抜けている。どのコースも健脚向きコースとなっているからやはりそうそう簡単に抜けられる峠越えではないようだ。塩の道を歩き始めてから山の中で同族に会う事はなかったが、今回の峠越えでは登山中の人達に混じり、何人かの街道歩きの人達にも出会え、当然、同族となれば話もしたくなり、立ち止まって街道の情報交換となる。今回聞いた話の中では「中山道」が面白いとの事だった。この塩の道も完歩前だが、やはり終わった後の次の事も考えてしまう。中山道かぁ。バーチャルでは1度歩いてはいるけど......

大網峠到着
ヒーヒー言いながら 10:40 大網峠に到着。ここから日本海が見えるのかと思っていたが、周りを林に囲まれて視界は無い。
記念撮影して、早々に下山開始。このペースなら予定の根知駅でなく、その先の頸城大野駅まで行けるかもしれない。そこまで行けば明日はかなり時間の余裕が出来る。
峠から少し下った所からようやく5年間追い続けた日本海が見えた。5年越しの感激の一瞬である。
下り出すと角間池、白池と綺麗な池が続き、池の脇には立派なトイレも完備されているのには驚いてしまう。

初めて見えた日本海

白池

山口関所跡


仁王堂
登りに較べると下り斜面(北側)は緩傾斜で、その途中には湿原もあり、そんな所を越える度にグチャグチャの登山道となる。 12:50 下り切って登り口にある山口宿の関所跡に到着。何処かに店でもあればと探しながら歩いて行くと雑貨屋があり、どうやらアイスくらいは売っていそうだ。早速中に入って声を掛ける事数回。ようやくおばぁさんが出てきてアイスをゲット。中で座ってゆっくりしていけというし、街道歩きの話も聞かせて欲しいとの事。言葉に甘え、店の奥のソファに座り、そこでおばぁさんと話をしながらのノンビリ休憩になった。
ここから今日のゴールである仁王堂までは4Kmほどしかないし、それにまだ時間も1時を過ぎたばかりだ。これなら根知で止まらずにその先に進めるだろうという事になった。
14:15 仁王堂着
ここからは中山峠を越えて大野に抜ける。設置されていた案内地図によれば大野までは距離3Kmで所要時間は40分となっている。これならば余裕だと、再びの峠越え。

中山峠

頸城大野駅
しかし、峠を越えるだけでも1時間10分、まだここから駅まで行くだけでも40分掛かって16:09 ようやく頸城大野駅に到着出来た。自分たちもそんなにゆっくり歩いているわけでも無かったのに一体、あの仁王堂の案内地図に書かれていた所要時間は何だったのだ?
列車が来るのは16:55だからまだかなりの時間待たなければならないが、まぁいい、ノンビリ待とう。
この夜も飲み過ぎるくらいに飲んでしまった。 
疲れた!!


明星山とヒスイ峡

3日目
(大野〜糸魚川)

さて、3日目。昨日の頸城大野駅からの列車の中で聞いたところ、駅前の駐車場に車を駐めても問題ないとの事。ならば朝から車に乗って移動した方がいい。今日は余裕でゴール出来るから何処かによって観光も出来る。そこでスタート地点に行く前にヒスイ峡に行ってみた。ここを流れる小滝川に明星山の大岸壁が落ち込んだあたりをヒスイ峡といい、日本で唯一のヒスイ産地となっている。道路対岸にそびえ立つ明星山も凄いが、道路から川までの絶壁も凄い!この下を流れる小滝川にはヒスイの原石がゴロゴロしていると聞いたが、盗難が相次いだ為に現在では貴重な原石は別の場所に移設保管されているという。
そうそうゆっくりもしていられないが、もう一カ所フォッサマグナパークに寄ってみた。

フォッサマグナの大断層
ここでは静岡糸魚川構造線の断層露頭を見る事が出来る。分かりやすく言えば静岡から糸魚川に続く大断層を目で見る事が出来るようになっていると言うわけだ。地味なパークではあるが、塩の道のルートは中央構造線や静岡糸魚川構造線とは深い関わりを持っているので一度見ておきたかった。
車を頸城大野駅の駐車場に駐めて、最後の街道ウォークをスタート。雨模様なので雨具を着込んでの出発になる。その為に支度にも時間が掛かる。 今回はカッパでなくポンチョにしてみた。


日本海に出た!
これならリュックをそのまま覆ってしまうからリュックカバーが必要ないし、風も通るのでカッパほどは蒸れない。小雨程度ならこの方が良さそうだ。
山?(丘)の中腹を通る街道を北に進む。ここから少し行けば美山公園になり、そこからは糸魚川の町に下って行く。最近開通したばかりの北陸新幹線の高架下を過ぎれば日本海は目の前だ。
最後は意外にあっけなくやってきた。
11:26 ゴール!
5年掛けてようやく太平洋と日本海が繋がり塩の道横断ウォーク完歩だ。よく歩いた!

総距離は約 430キロ
延べ日数  19日
 
            
  3日間の歩行距離
     51Km
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