西渡にて


水窪町内の塩の道


水窪北部


丸太型のトイレ


青崩峠登り口


青崩峠


死んだばかりの鹿


和田宿に入る


合戸峠からの遠山川


木沢小学校跡

塩の道 第4回目(2013.10.5〜7)

1日目(西渡〜水窪 泊)


    地図クリックで詳細地図

     西渡をスタート
今回は頑張って2泊3日で、一気に西渡から水窪、そこから青崩峠を越えて和田、そしてその上の小川路峠への登山口になる上村まで進める。出来るならもう少し頑張って小川路峠も越え、飯田まで行ってしまった方が次の事を考えると効率もいいのだが、体力的にも疲れた後で小川路峠を越える自信もあまりない。
まぁ、今回はその手前でも良しとしよう。
前回のゴールとなった西渡まで行くだけでも一苦労だ。いつものように東海道線、天浜線と乗り継いで西鹿島の駅まで行き、そこからは路線バスに1時間以上も揺られてようやくスタート地点の西渡に到着した。時間もすでに11時になろうとしていて、もうお昼時だが、その前にまずは坂道を登って上に出ておきたい。西渡をスタートして暫くは八丁坂と呼ばれる急坂を登る。この坂道は生活道路として今でも使われているようだ。ここに住んでいれば足腰は丈夫になる事だろう。
汗をかきかきようやく登り切り、上の水平な道路に出た。まずは腹ごしらえだ。北方向にはこれから進む水窪方面の山が連なっていて、見ているだけで足が疲れてくるような気がしてしまう。前回は水窪まで行こうとしていたが、ここから水窪まででさえ15キロ以上あり、今日1日がかりの行程になってしまうくらいなのだから、この距離はとても歩ける筈がなかった。それに一旦上の道に出てしまうと暫くの間、公共の交通機関は全くなくなる。

         廃屋

       これから歩く先
さて、水窪に向けて出発だ。
暫くの間は急な坂道はないから大変な事もないが、10月というのに暑くて水の消費が早い。水が無くなりそうなので道路脇にいたオジーさんに水を汲ませて貰うように頼んだら近くの家まで案内され、水は勿論、その上にまだ封を開けてないミネラルウォーターまで貰った。なんと親切な!そのオジーさんが言うにはあと一月もすると向かいの山の紅葉が綺麗になるそうなのだが、今はまだこの暑さで緑も濃い。
このあたりの水窪川は両岸がかなり切り立っていて、昔は上を迂回していくしかなかったようだが、今では川岸に国道が通っていてこんなに上を通らなくても水窪まで行ける。実際、この街道はかなり高い所を通っているようで、川は遙かに下を流れている。前回の地図の失敗を踏まえ、今回はいい道具を持参。と、言ってもiPhoneのアプリなのだが、電波の届かない所でも地図上で自分の位置が分かるという優れもの。電話の電波が届かなくてもGPSの信号は拾うから、あとは地図さえ何とかなればいい訳だ。このアプリはDIY GPS と言うくらいだから地図は自分で作らなければならないのだが、作る際にはその地図上にはいろいろと書き込める事が出来る。スタート地点からの1キロ毎に距離を入れたり、途中の見所のマークを付けたりと、これはかなり使える。何といっても国土地理院の山道まで入っている地図が携帯の電波に関係なく圏外でも使えると言うのが強い。これで自分の位置をロストすることは無くなったし、それに、この地図を作るという作業はやってみると結構楽しいものなのだ。しかし、予定外もある。今回、えらい大変な思いをして急な坂道を登っていったのに、そこからイザ山道に入ろうとしたら、荒れてしまっていてとても歩いて行けるような状態では無かった。結局、ここは諦めて下の国道に戻ったのだが、この間、約1時間30分は無駄な苦労で終わってしまった。地元の人が居れば聞けばいいのだが、人が居ない事にはそれも出来ない。


     ようやく水窪の町に入る
やはり10年以上も前の古い地図を情報源にしているから無理もない。それにしてももう少し近いと思っていた水窪だったのだが、なかなか到着しない。
途中でまたまた、今は通れない道に進んでしまい、後戻り。こうしたやり直しは体力的にも精神的にも堪える。水窪の町に入る途中で会った散歩途中の地元のおばさんに聞いたらもう少しだという。でも泊まる所は中村館だと言ったら、あ、そこまではまだ少し距離があると言われた。どうやら中村館は水窪町でもかなり北のほうにある旅館らしい。午後4寺過ぎ、ようやく水窪の町が見えた。それから約1時間、今日の宿「中村館」に到着。風呂に入ってから呑んだ夜のビールは旨かった!
山間地の街は全国どこでも同じだろうが、昔は賑やかだった水窪の町も林業の衰退による過疎化やそれに伴う商店の閉店、宿屋の廃業などが続き、それに加えて現在の不景気が追い打ちをかけ、現実はかなり厳しい状況のようだ。確かに街の中に活気が見られない。

スタートの相良から丁度100キロ地点になる。
                 ▲ 右段の最上段へ

2日目(水窪〜和田 泊)


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        宿を出発する
さて、今日はいよいよ静岡県から長野県に抜ける。
県境の青崩峠まではかなりの登りになりそうだが、そこを越えれば長野県と思えば少しは励みにもなる。
宿の女将さんに写真を撮って貰い23キロ先の和田宿を目指してイザ出発。
10月初旬の気候はまだ夏の陽気で、汗グシャになりながら国道152号線を北へ北へとすすむ。この152号線は長野県の上田市と静岡県浜松市を結ぶ国道なのだが、未だに青崩峠と地蔵峠の部分は出来上がっておらず、この区間は歩く山道しかないという不思議な国道なのだ。途中には木地屋の墓や鯖地蔵、しっぺい太郎の墓、足が身神社などあり、見るべきものも数多くある。木地師の墓を過ぎて暫く行くと青崩峠への山道に入る。石畳になっている立派な道なのだが、石畳というのは見た目はいいものの歩きつらいものだ。足下を見て歩かないと足首の捻挫でもやってしまいそうだ。戦国時代には武田信玄もこの峠を越えたらしく、途中には「武田信玄公腰掛岩」と名付けられた岩もある。宿をスタートしてから4時間15分、ようやく青崩峠に到着。丁度、昼飯時なのでここで昼食にした。

       青崩峠

      荒れた林道

     和田宿 到着

さて、ここからは長野県に入り、下り坂になる。
この辺りを南北に走っている中央構造線のまさにその上を通っているのがこの塩の道なのだが、やはり断層帯と言う事で地盤が脆いのか、至る所で山の斜面が崩落している。工事中の所でさえ、再び崩落しているのだから、しょせん人間の手に負えるようなものでもなさそうだ。この崩落した斜面の色青みを帯びている事から青崩峠の名が付いたらしい。途中からは再び国道152号線になるのだが、見た目は山の崩落で荒れてしまった林道といった感じで、とても車で走れるようなものではない。
暫く下って行くと兵越峠を迂回して来ている道路と合い、あとはこのままこの路を和田まで下るだけだ。青崩峠越えは大変だろうと覚悟していたが、それほどの苦労も無しに越える事が出来て、夕刻早めに今日の宿「紺屋旅館」に到着した。
今日もまた夜のビールが旨かった!

3日目(和田〜上村)


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      紺屋旅館
3日目は帰らなくてはならないので早めに切り上げなければならない。取りあえず今日は小川路峠の登り口である上村の清水まで行けば良しとする。距離は14Km程度だから早い時間時ゴール出来るだろう。
出発してすぐに木沢に抜ける峠への登りが始まる。しっかりした山道があるわけでもなく、斜面をひたすら登る。夕べの避けもまだ少し残っているようで朝いちの登りが体に堪えた。木沢に抜けると再び遠山川沿いの国道152号線にでる。木沢の先に梨元の停車場跡がある。ここは遠山森林鉄道の貯木場があった場所。遠山森林鉄道は昭和43年にその使命を終えているが、最盛期には総延長305Kmにも及んだというからかなりの規模だったようである。
ここから上村までは単調な国道歩きとなり、11時には上村に到着した。河原での昼食後、十分な休憩をとってから清水までの最後の登りを歩き始めた。流石にこの3日間の上り下りが足に堪えてきているようで足もバテ気味だ。
1時間ほど掛け急坂を登るとようやく今回のゴール地点である上村の清水に到着。ここからは小川路峠への登山道となるのでこれ

      小川路峠への登り口
以上進むわけにも行かない。
さて、元来た道を下り、上村に戻っても、ここから静岡に帰るのは厄介だ。
まず、上村から和田までバスで戻り、そこから飯田線の駅のある平岡までは和田の自主運行バス、平岡駅から豊橋駅まで飯田線でいき、そこからは新幹線で静岡まではひとっ飛び。
さて、次はいよいよ塩の道最大の難所、小川路峠越えだ!
  
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               歩行距離 約56Km