塩の道 第1日目(2010.3.28)

今更ではあるが、塩の道って何?
今から46億年ほど前、地球が誕生した。それから数億年経った頃、
海の中では様々な生物が誕生し、長い時間の中でそれぞれが固有の進化をしていく。3〜4億年ほど前になると脊椎動物の先祖が海から上陸し、今から300〜400万年前に二足歩行をする現在のヒトの祖先が誕生した。未だに人が塩を摂取しなければ生きていけないのも人の先祖がかつては海に住んでいた証ともいえる。
狩猟生活をしていた頃は塩(ナトリウム)は動物の肉から摂取できたが、時代が進み稲作等の農耕の時代になると植物には塩は含まれていない為、人は意識して積極的に塩を摂らなければならなくなってしまった。沿岸部なら海水から塩は摂れるので問題は無かったが、岩塩というものが無い日本の内陸部では外からの塩に頼るしかなかった。こうして沿岸部から内陸部に塩を運ぶ、いわゆる塩の道が日本列島の中を網の目のように広がっていった。
全国至る所にある塩の道でも日本列島の一番幅の広い部分を貫いている相良〜松本(これを南塩という)松本〜糸魚川(これを北塩という)の塩の道を通しで歩いてみようと2010年春に相良をスタートした

東海道や姫街道と違い、店も無し、宿も無し、それに加えて公共交通機関もないような、かなり田舎道(というより登山道)も歩くので計画を立てるのにもひと苦労。まずは様子見に起点となる相良から掛川までを歩いてみた。

    上の地図をクリックすると大きな地図表示

2010年3月28日、日本海側の糸魚川市に向けて塩の道ウォークをスタートした。今回は太平洋から日本海まで日本列島を横断する歩き旅だ。さぞかし達成感もある事だろう事を期待して
シュッパーーツ!!

静岡駅から相良までは高速を走る特急バスが 出ているのでそれに乗り相良へ到着。今回はネットで知り合った相良在住のysさんも同行してくれた。塩の道の起点には立派な塩の道の道標が立っていて、それには基点と示されていた。

     塩の道基点
まずは西に向かい園坂から牧ノ原台地の上に出る。暫く平坦な道を行き、坂が下り始めたあたりが塩買坂だ。相良から塩や魚を運ぶ道として名付けられたと言われる。 
今川義忠が横地氏の残党に襲われ非業の死を遂げた場所でもあり、近くの少林寺には義忠の墓がある。少林寺からは下りになり下りきれば小笠にでる。腹も減ってきたが、それらしい店も無いようだ。仕方なし、スーパーで弁当を買って近くの公園で昼食となった。東海道の時のビール呑みながらの昼飯が懐かしい。 この塩の道は秋葉参拝道とも重なっているために、途中には秋葉さんの常夜灯がかなりの数見られる。常夜灯といっても石造りの簡単なものではなく、お堂タイプのものだ。しかし、この

       秋葉山常夜灯

         応声教院
お堂も管理する人も居なくなってきたのか、かなり痛んでいるものが多い。これらの文化財も近い将来、朽ち果てていく運命なのかもしれない。
田んぼの中の道を歩いて行くとずっと先に応声教院の赤い門が見えてきた。この門は静岡の宝台院から移築したもので、国の重文指定を受けている。ここから少し行くと秀吉が掛川城を攻める時に陣を置いたという陣場峠への登りになる。登りは茶園に造成された横の道を進むが、地図の道とはかなり変わっている。正確な道は造成時に消えてしまったようだ。それでも何とか陣場峠に到着。
陣場峠からの下りは道も消えている藪の中。どこへ出るのかも分からずにただただ下る。差ほど大きな山でもないから迷う事もなく下界に下りる事が出来た。ここから掛川駅まではあと僅か。
取りあえずは日本海に向けスタートした。
                歩行距離 約28Km